ジョニー・キャッシュは不思議な魅力のあるシンガーであり、カントリー歌手の代表格としても知られるが、その音楽にはロックテイストが漂う。ハンク・ウィリアムス等の古典的なカントリーは少し苦手でも、キャッシュはかっこいいと言う人がいる。キャッシュは本質的にはアコースティックギターを使用したロックミュージシャンだったのではないだろうか。彼はエルヴィスの在籍したサン・レコードからデビュー、レッド・フォーリーと並んで戦後のカントリーミュージックのアイコンとなった。ある意味では、そのエルヴィスのように破天荒な生き方も、古典的なロックミュージシャンのイメージに近い。彼の生家はアーカンソーの綿畑の農家であり、貧しい農業コミュニティで育った。中期は、フランク・ザッパやリック・ルービンからの薫陶を受けたこともあり、必ずしも、カントリー・ウェスタンの形式にこだわらなかった。彼の音楽はむしろカントリーの先にあるロカビリーというスタイルを生み出すことになった。

 

 

多くの善良なアメリカ人と同じく、ジョニー・キャッシュの音楽的な概念の中にはキリスト教の題材がある。晩年、ジョニー・キャッシュの音楽は人間的な悲哀、道徳的な試練、贖罪をテーマに取ることが多かった。これらのテーマは20世紀の多くのヨーロッパのキリスト教圏で生活する文学者が題材にした。つまり、キリスト教における一神という存在と人間の存在がどのような関係性を持つのかについてである。それは形而下としての表現に至る場合もあれば、それとは正反対に、なんの変哲もない日常生活、あるいはカソリック的な概念から見た貞節と放埒というものまで実に広汎である。例えば、フランソワ・モーリヤックや北欧のノルウェーやスウェーデンの作家はほとんど、キリスト教的な試練を人生と結びつけ、それらを農民の生活や、それとは対極にある近代の都市生活、職業分化の生活と合わせて描いていたのだった。


多くのアメリカ人が戦前から戦後の時代にかけて、裕福になり、キリスト教の地域コミュニティが優勢になるにつれ、それとはまた異なる近代的な生活形態が出てきた。シンクレア・ルイスは「バビット」という著作のなかで、これらの経済的に裕福になり、フォードのような車に乗ることに夢中になり、しだいに軽薄な生活を送るようになるアメリカ人と、旧来のキリスト教社会に絡め取られる市民生活をコミカルに描いている。スタインベックの「怒りの葡萄」が取りざたされることが多いが、実はシンクレア・ルイスの小説の方が圧倒的な内容なのである。

 

ジョニー・キャッシュが見たアメリカの変遷というのも、これによく似たものであった可能性がある。彼は、アメリカの社会が戦前から戦後にかけてどのように移ろっていたのかをその目で捉え、そしてそれらをリアリティーのあるカントリー・ウェスタン、ロカビリー、あるいは純粋なロックとして昇華してきた。そして彼は純粋な音楽制作と並行し、自分の音楽が社会的な影響を及ぼすのかについても軽視することはなかった。”Man In Black"の代名詞に違わず、シンプルな黒服を着用し、急進的なイメージを掲げ、コンサートのMCでは自分の名を名乗るだけ、そして刑務所での無料コンサートを行ったり、慈善的な活動にも余念がなかったイメージ。彼の音楽の中には、ある意味では、古典的なスタイルのダンディズム、そして男らしさというのがある。それは低いロートーンのバリトンの声、そして徹底して脚色を嫌うというのが特徴だ。今ではジョニー・キャッシュのような姿は映画の中にしか見出すことが出来まい。


ジョニー・キャッシュは、ダイスという定住植民地の地域の綿畑農場で少年時代を過ごした。フランクリン・ルーズベルト大統領が制定したニューディール農業プログラムを活用し、キャッシュが3歳の時、彼らの一家はキングスランドからダイスへと転居した。キャッシュ一家は、五部屋の家に住まい、20エーカーを持つ農場で綿花や作物を収穫した。キャッシュはこの農家で15年の青春時代を過ごす。その間、家族が抱えていた負債は返済していく。しかし、財政難の生活は楽なものではない。キャッシュ一家の癒やしともなったのが、他でもない音楽だった。彼の母親は素晴らしい音楽のバックグランドを持っていた。賛美歌、プランテーションソングをキャッシュ少年は聴いた。カントリー、ブルース、そしてゴスペル。彼の生活には音楽がいつも流れていた。彼の母親は、夜に食卓の周りで歌ったのか、はたまた寝る前に子守唄代わりに賛美歌を歌ったのか。きわめて硬派な音楽であるにも関わらず、キャッシュの音楽に夢想的な音楽性が含まれているのは、彼の少年時代にその要因が求められるのかもしれない。

 

その後、ジョニー・キャッシュは日曜の教会に通い、ゴスペル音楽を吸収した。彼の母親はペンテコステ教会に属しており、また純粋なキリスト教信仰者でもあった。彼の母のキャリーはキャッシュに歌手としての才能を見込むと、実際にそれほど裕福とはいえないのに、お金をかき集め、彼にレッスンを受けさせた。最初の三度のレッスンで、彼の先生は歌に関しては何も教えることはないと言った。すでに12歳の頃に曲を書き始めていたキャッシュ少年はその後、ポピュラー音楽の薫陶を受ける。以後、ラジオから流れてくるカントリーミュージックが音楽的な啓示となる。カントリーウエスタンは、当時のポピュラー音楽であった。彼の家族はバッテリー式のラジオを家の中に置いていたが、キャッシュ少年はその不思議な箱から不思議な音楽が流れてくるのを耳にする。彼は若い時代を通じて、メンフィス、カーターファミリー、グランドールオープリー、それらの歌手のホスト役からカントリー音楽の薫陶を受けたのだ。

 

音楽というのは、そもそもその制作者が持つ最初の音楽体験と、それにまつわる思想形態が複雑に混ざり合う。それは記憶と概念の融合でもある。ジョニー・キャッシュのいちばんはじめの体験は、カントリー・ミュージックの素朴さと黒人霊歌の持つバックグラウンドの深さ、そしてそれはそのままアメリカという国家の歴史的な背景の重みでもあった。彼はテネシー・ワルツやそれとは対極にある宗教音楽としてのゴスペル、あるいはその中に含まれるキリスト教的な概念、そういったものに触発され、あるいは薫陶を受け、最初の音楽的な土壌を精神的に培っていったのだ。もうひとつのダンディズムや映画俳優のような硬派な歌手のイメージはその後の軍隊生活を送った期間に培われた。音楽活動のはじまりとして、アーカンソー州のブライスビルの高校集会でライブパフォーマンスの経験を積む。

 

高校の卒業後、彼はミシガンのボンティアックで短期間の労働を経た。彼は自動車工場で車のボディの組み立てをした。ブルーワーカーの肉体的な強靭さはすでに若い時代の農場で培われていた。その夏、彼は米軍に入隊する。John R Cashとして空軍に所属し、サンアントニオのラックランド空軍基地の訓練兵として派遣される。そこで、将来の妻、ビビアン・リベルトと運命的な出会いを果たす。空軍での四年をドイツのランツベルクで過ごしたこともあった。彼は無線の迎撃官、ソ連の無線トラックの盗聴等あらゆる米軍の任務を忠実に遂行したのだった。

 

 

これらの時代において、キャッシュはのちにサン・レコードからリリースする「フォルサム・プリズン・ブルース」、「ヘイ・ポーター」を作曲している。彼は、このドイツの時代に、空軍の仲間とバンドを結成し、ランズバーグ・バーバリアンとして活動している。ジョニー・キャッシュは、後にこのドイツの時代をドイツビールにかこつけて、少しジョーク交じりに回想している。「わたしたちの演奏はひどかった」と。「楽器をホンキートンクにもっていって、観客がわたしたちを追い出すか、それか、戦いがはじまるまで演奏を続けていたんだ」

 

1954年、キャッシュは空軍を退いた後、なんと家電のセールスマンへと転職する。空軍での肉体的なタフネスを身につけた後のセールスマンとしてのキャッシュの来歴は、音楽業界で生き残るための強かさを与えた。彼はメンフィスに定住し、ルーサー・パーキンス、マーシャル・グラントとギター、ウッドベースのバンドを結成し、教会や地元のラジオ局でライブ演奏を行う。キャッシュはこの頃、ドイツで購入した安い5ドルのギターを手に演奏した。最初の本格的なバンド活動は、ゴスペルに合わせて、カントリーウエスタンのスタイルを探求する契機となった。同じバンドにいたマーシャル・グラントはのちに2006年の自叙伝で、キャッシュのボーカルについて回想している。「彼はスタンダードな歌手であり、さほど素晴らしい歌手ではなかった」「しかし、不思議なことにその頃から彼の声には力強さと存在感があったのです」

 

 

1955年前後はエルヴィス・プレスリーがサン・レコードから登場し、ロック・ミュージックの誕生した記念すべき時代でもある。いわば、それ以前のブルース、ソウル、カントリー・ウェスタン等旧来の音楽が古典的なものに切り替わりつつある時代に、キャッシュは音楽シーンに登場している。つまりキャッシュは、急進的なイメージを持って登場したプレスリーとは異なり、古い時代の音楽とそれ以後の時代の音楽の橋渡し役としてシーンに現れた。当時、メンフィスのエルヴィスは、最初のレコードをリリースし、すでにローカルなヒーローとなりつつあったが、この最初の現象は彼のプロデューサーであるサム・フィリップスに対する世間的な関心を引き起こした。キャッシュの脳裏にあったのは、自分のレコードを出したいという思いと、もしかするとエルヴィスのようなローカルスターになれるかもしれないという切望だった。その年の後半、キャッシュはパーキンスとマーシャル・グラントを引き連れ、なんとサン・レコードのオフィスを連絡もとらずに訪れ、そしてサム・フィリップスのオーディションを受けた。フィリップスは、ジョニー・キャッシュのバンドの曲が好きだったというが、市場がロックへと移行しつつあるのを鑑みて、ゴスペルの選択はベストではないと考えた。サム・フィリップスはジョニー・キャッシュにオリジナルの曲を書いてまた戻ってくるように伝えた。

 

トリオはサム・フィリップスの助言を忠実に遂行する力があった。ジョニー・キャッシュによって書かれた「ヘイ・ポーター」の制作に取り掛かり、最初のサン・セッションを無事に終えたのだった。フィリップスはこの曲とフォローアップ曲「Cry, Cry, Cry」を痛く気に入り、ようやく彼はトリオとの契約にサインする。サン・レコードの契約名義は、Johnny Cash& Tennesse Twoだった。ヒット作請負人ともいえるフィリップスの見込みは大当たりだった。1955年にリリースされたジョニー・キャッシュの最初のシングル「Hey Porter」は圏外だったが、2ndシングル「Cry, Cry, Cry」はビルボードチャートで14位にランクインした。

 

サン・レコードからデビューした当初のジョニー・キャッシュ・バンドの快進撃は留まることを知らなかった。 「So Doggone Lonesome」「Folsom Prison Blues」等ヒット・ソングが続いた。キャッシュの最初の大きな成功が舞い込んできたのは、それから二年後の1956年のことだった。「I Walk The Line」はカントリー・ミュージックチャートで一位を獲得し、200万枚を売り上げた。シングルリリースとしては驚異的な数字であり、彼の人気の凄さがうかがえる。

 

 

「I Walk The Line」

 

 

 

 

音楽的な成功を手にしたジョニー・キャッシュは私生活での幸福にも恵まれた。後にグラミー賞を受賞するカントリー歌手、ジューン・カーターと結婚したキャッシュは、四人の子供に恵まれた。おそらくこれらの幸福な期間は数年は間違いなく続いたのだった。しかし、1960年代頃、プロミュージシャンとしての過密なスケジュールに加え、商業的な音楽の成功へのプレッシャーは計り知れないほど大きくなっていた。プロミュージシャンと家庭生活のバランス感覚を失ったキャッシュは、しだいに家庭内で威圧的な態度を取るようになっていった。その間、彼は家族とともに気分を変えるために、カルフォルニアに引っ越し、そしてグループとしても年間300日もの外泊をすることを余儀なくされた。彼と家庭との間に何が起きたのか。少なくともこの時代のことについては晩年の贖罪というテーマにも繋がってくる。キャッシュは家庭内の不和により、徐々に薬物やアルコールに依存しはじめた。こういった生活が数年続いた後、夫の不在に不満を抱くようになったカーターはついに二年後の1966年に離婚を決意する。当時のことについて、キャッシュは、「私は、飲むべきすべてのドラッグを飲んでいた」と振り返っている。「私が150ポンドもの距離を歩いたため、乗り越えたといった。その頃の私は歩く死のようだった」

 

 

そんなキャッシュに復活のチャンスが訪れた。彼はボブ・ディラン、ルイ・アームストロングまで当時の流行のミュージシャンを紹介するテレビバレエティ番組「ジョニー・キャッシュ・ショー」の司会に抜擢される。また彼はそれ以前の時代の反映を踏まえて、音楽活動と並行してより啓発的な活動に取り組むようになった。彼は多くの社会問題を定期するフォーラムを提供したり、ベトナム戦争から刑務所の環境改革、そして、ネイティブ・アメリカンの権利に至るまで多角的な議論の場を提供した。この時代、ジョニー・キャッシュが取り組んだのはアメリカの社会を善良な視点から捉え、それらの現実的な解決策を用意するように、対外的に働きかけるという内容であった。テレビ番組での司会と合わせて、キャッシュはフォルサム刑務所でのライブ・アルバムとしてリリースした。

 

 

この1968年のアルバムでキャッシュはグラミー賞を獲得するが、作品自体は批判と称賛の双方を巻き起こした。しかし、少なくともこのアルバムは商業的な成功に見舞われ、彼の人気を復活させる要因となったと言われている。その後も、キャッシュは立て続けにヒットシングルを連発した。

 

「A Thing Called Love」(1972)、「One Piece at a Time」(1976)である。ミュージシャンとしての着実な成功を手にする傍ら、彼は活動の領域を制限することはなかった。「Gunfight」(1970)で映画俳優として出演、さらには「Little Fauss and Big Halsy」(1970)のオリジナルサウンドトラックを手掛け、映画音楽の作曲も手掛けた。

 

また執筆活動も行うようになり、その中にはベストセラーとなった自伝「Man In Black」を出版した。その中で文化的な功労者としてのイメージも高まり、1980年代にはカントリー・ミュージックの殿堂入りを果たした。キャッシュはその後も、さまざまな活動を行うように鳴り、バンドでの活動と合わせてコラボレーションや他のプロジェクトに取り組むこともあった。ジェリー・リー・ルイス、ロイ・オービンソンとのバンド活動や、一般的な人気を獲得した「The Class of '55」をレコーディングした。また、クリス・クリストファーソン、ウィリー・ネルソン、ウェイロン・ジェニングスとハイウェイマンを結成し、1985年から1995年にかけてスタジオアルバムを三枚リリースしている。有名なロックアーティストとのコラボも行い、1990年代には、U2とスタジオ制作を行い、1993年の「Zooropa」に収録されているトラックに参加している。これほど広汎な活動を長期間に渉って続けたアーティストというのは他に類を見ないほどである。

 

その後、キャッシュは健康問題を抱えるようになり、心臓バイパス手術の治療を受けながらも、音楽活動を断念することはなかった。これほどまでに彼を音楽に駆り立てた理由はなんだったのだろうか。1992年にロックの殿堂入りを果たした後、1994年にはリック・ルービンと組んで、「American Recordings」を発表した。このアルバムでは古典的なフォークバラードと現代のプロダクションを融合させ、彼の音楽がまだ色褪せていないことを証明した。このアルバムは、1995年のグラミー賞最優秀コンテンポラリーフォークアルバムを獲得している。その時のキャッシュの60過ぎという年齢を見るとほとんどこれは驚異的なことである。また同時の執筆活動も継続させ、1997年には二度目の回顧録「Cash: Autobiography」を出版した。やはりその後、神経疾患により入退院を繰り返した後、2000年代に入っても音楽を制作し続けた。ビートルズからナイン・インチ・ネイルズのオリジナルカバーとミックスを収録した「American Ⅳ・The Man Comes Around」を発表した。NINのトレント・レズナーは当初、それほどこのカバーに積極的ではなかったというが、最終的にはジョニー・キャッシュの熱い思いに降参した。「それは温かい抱擁のように感じた。私はそれについて考えると鳥肌が立つようでした」




ゴスペルやカントリーに始まり、そしてロックへと変遷していったジョニー・キャッシュの人生はその自伝を当たってみるの一番だ。しかし、彼は音楽の伝道師であり、その歌声を通じてさまざまな人々に感動をもたらし、そして音楽的な啓示を与えてきた。アーカンソーの農場で始まり、そして、12歳のときに作曲を始め、軍隊への入隊、そして、エルヴィスと並んでロックのヒーローでもあり続けた。もちろん、彼の音楽に対する欲求や創作意欲は晩年になっても薄れるどころか、強まる一方だった。ジョニー・キャッシュの音楽とは、彼が見たアメリカの時代の変遷の記録なのであり、また、その国家の歩みを音楽やアーカイブという形に留めるということである。

 

最後のアルバム「Amrican Ⅴ」の録音に協力したリック・ルービン。そして、その傍らにいたであろうキャッシュの脳裏にはさまざまな光景がよぎったはずだ。アーカンソーの農場の生活が途絶え、グラミーの華やかな世界に変わる。ステージでカントリーとロックを歌う自分の姿、妻との離婚、必ずしも良い夫ではなかったこと。刑務所での慈善コンサート、また、彼自身も麻薬問題により人生の中で複雑な暮らしを送ったこと。贖罪の思いに駆られる。原初的なキリスト教の教えは最終的にロック、カントリーと同時に、同じような弱い境遇にある人々への讃歌へと変わる。幼き日に歌ってくれた母の賛美歌。そして、教会で聴いた聖歌が脳裏からうっすらと遠ざかっていく。

 

2003年にジョニー・キャッシュの死の傍らにいた名プロデューサー、リック・ルービンは次のように回想している。「6月がすぎても、彼は何かを記録するのに充分なくらい生きる気力を持っていました。しかし、一方で生きるのに精一杯だったのです」とリック・ルービンは言う。「6月が過ぎた明くる日、彼はこんなことを言いました。私は毎日何かをする必要があるって」ルービンは言う。「そうでなければ、私がここにいる理由などないのですからね」

The Lemon Twigs  『A Dream Is All We Know』 

 


 

Label: Captured Tracks

Release: 2024/05/03

 

 


Review    ダダリオ兄弟が巻き起こすパワーポップ/ジャンクルポップの熱狂

 

 

最近、よく思うのは、例えば、イギリスのロンドンやマンチェスターから登場する音楽はある程度事前に予測出来るが、アメリカから登場する音楽は予測することがほとんど不可能ということである。つまり、どこから何がやってくるのかさっぱり見当がつかないし、そして驚きに充ちているというのがアメリカの音楽の楽しさなのである。

 

ご多分に漏れず、ニューヨークのキャプチャード・トラックスに在籍するダダリオ兄弟による四人組のバンド、ザ・レモン・ツイッグスの音楽も驚きに充ちていて、2024年の時間軸から1970年代、いや、それよりも古い年代にわたしたちを誘う力がある。


レモン・ツイッグスの音楽は、一般的にアメリカのメディアで比較対象に出されるように、ビートルズやビーチ・ボーイズに近い。ついで、ルビノーズのようなビートルズのフォロワーの時代に登場したロック・グループの音楽を現代に蘇らせている。70年代頃にイギリスやアメリカで盛んだったビートルズの音楽をモダンに解釈しようという動きは、Flaming Grooviesに代表される”マージービート”という名称で親しまれていたが、それが以降のThe WHOやThe Jamに象徴付けられる英国のモッズロックの形に繋がった。また、もうひとつの流れとしては、ビートルズは、オーケストラ音楽をポップスの中に組み込んだチェンバーポップ/バロックポップという形式を重要な特徴としていたが、このジャンルのフォロワーは以後の世代に無数に生み出され、パワーポップというマニアックなスタイルへと受け継がれていったのである。この流れのから、アメリカの最初のインディーロックスター、アレックス・チルトンも台頭し、その系譜は最終的にポール・ウェスターバーグに続いていったのである。パワーポップの有名なコンピレーションとして、「Shake Some Action」という伝説的なカタログが挙げられる。このコンピには、Shivversというマニアックでありながらアメリカの良質なバンドの曲が収録されていた。

 

 

ザ・レモン・ツイッグスの名を冠して活動するダダリオ兄弟は、上記のマージービートやチェンバーポップの要素を受け継ぎ、”アナログレコードの質感を現代的なレコーディングで再現する”というのをポイントに置いている。実際的にはアナログのサチュレーター等に録音した音源を落とし込むと、テープ音楽のようなビンテージな音の質感が得られることがあるが、レモンツイッグスの場合は、それらをライブセッションを通じて探求しようと試みる。彼らの音楽には、60、70年代のロックバンドの間の取り方があり、リアルなロックミュージックの魅力をどこかに留めている。つまり、レモン・ツイッグスの音楽は中国の故事”温故知新”に近いものなのである。

 

前作と同様、このアルバムの音楽に安心感があるのは、兄弟がクラシックなタイプのロックミュージックをじっくり聴き込んだ上で、それをどのように現代的に洗練されたサウンドとするのか、バンドセクションで試行錯誤しているからである。ただ、彼らが単に70年代のレコードだけを聞いていると見るのは早計で、実際の音楽に触れると分かる通り、他のヒップホップやローファイも結構聴くのかも知れない。そして何より大切なのは、彼らはごくシンプルにロックの楽しさをわかりやすくリスナーに提供しようとしているということである。口ずさめるメロディー、そして乗りやすいリズム、複雑化した現代の音楽に一石を投じ、あらためてロックの真髄を彼らは叩きつける。選択肢が多いということは確かに長所であり、強みでもあるけれども、それを一点に絞ったほうが、その音楽の魅力がリスナーに伝わりやすくなる。シンプルな感覚を伝えようとすることは、複雑なものを伝えるよりも勇気を必要とするのである。

 

 

現時点のダダリオ兄妹の最大の長所は、傑出したコーラスのハーモニーにあり、これはビートルズ、ビーチボーイズ、あるいはチープトリックの全盛期にも匹敵するものである。 ときにメインボーカルはこぶしをきかせた力んだ感じの節回しになることがあるが、それは不思議と古びた印象を与えない。それは背後のバンドアンサンブルがボーカルを上手い具合に引き立てており、音の出処と引き際をうまく使い分け、レモンツイッグスしか生み出し得ないオリジナルのグルーブやメロディーを生みだすからである。アルバムの冒頭に収録されている今年の年明けに発表された「Golden Years」は、このことを顕著に表している。シンプルな8ビートによるロックソング、そして、ビーチボーイズに比する美麗なコーラスのハーモニー、バンドアンサンブルを通じて曲の一連の流れのようなものを作り、サビの部分でクリアな響きを作り出す瞬間は、ほとんど圧巻とも言える。昨年のフルアルバムでは、ややノイジーなサウンドに陥ってしまうという難点もあったが、このオープナーはコーラスワークが洗練されたことに加え、バンドアンサンブルのグルーヴィーな音の運びが陶酔感のあるポップ/ロックの世界を生みり出す。「Golden Years」はジミー・ファロンのステージでも披露されたのを思い出すが、少なくともレモン・ツイッグスの代名詞のようなナンバーであるとともに、重要なライブレパートリーともなりそうな一曲である。


「They Don't Know Hot To Fall In Love」、「Sweet Vibration」を見るとわかるように、アルバムの序盤の収録曲には、ビートルズからの音楽的な影響を窺わせるナンバーが多い。そしてダダリオ兄妹は60年代頃のロックミュージックがそうであったように、青春時代をおもわせる爽やかさを織り込んだシンプルなラブソングに昇華させている。演奏の部分ではリバプールの四人組のスタイルを受け継いで、ドラムを中心にしなやかなアンサンブルを組み上げている。そして、例えば、ビートルズがチェンバロを使用した楽曲を、彼らはシンセのエレクトリックピアノの音色を織り交ぜて、ややクランチな質感を持つロックソングへと変化させている。その他にもクラシカルなロックに対するレモン・ツイッグスの興味は、アルバムの中盤の重要なハイライトとなる「If You And I Are Not Wise」にも見出せるはずである。ここではCSN&Yのアルバムに見出せるようなフォーク・ミュージックを絡めてロックソングをアレックス・チルトンのBig Starのようなスタイルで解釈している。ここにはアメリカのインディーロック音楽の真髄を見ることが出来る。歌詞に関しても、少しウィットに富んだ内容を書いているのは珍しいことと言える。



このアルバムの中のもうひとつの注目曲としては、先行シングルとして公開された「How Can I Love Her More?」が挙げられる。イントロでは、金管楽器に加えてギタープレイがフィーチャーされている。この曲で、ダダリオ兄弟は少し甘酸っぱいというか、青臭い感じのあるラブソングを書いている。また、この曲の背景には、ビーチ・ボーイズの「Pet Sounds」の時代を思わせる爽やかなコーラスワークが散りばめられている。そしてレモン・ツイッグスの甘酸っぱいサウンドを引き立てているのは金管楽器とストリングス、メロトロン、チェンバロの代用となるシンセベースである。

 

下記にご紹介する注目曲「How Can I Love Her More?」のミュージックビデオでは、ダダリオ兄弟がまるで録音の中でチェロを実演しているかのようなシーンが映像に収録されているが、多分このレコーディングでは、生楽器ではなくシンセが使用されている。レコーディングとしては、シンセストリングスを使う場合、安っぽくならないように細心の注意を払う必要があるが、バンドの喜び溢れるエネルギーに満ちた演奏がそのポイントをやすやすと乗り越えている。

 

曲の親しみやすさ、時代を越えても色褪せることのないロック性、さらに淡麗なメロディーの運びは、バロックポップ/チェンバーポップの完成形とも言えるかも知れない。リフレインが続いた後、アウトロにかけてのダダリオ兄弟のボーカルは感動的なものがある。この曲には、Sladeの「Com On The Feel the Noize」に比するロックの普遍的な魅力がある。そう、最も理想的なロックソングとは、難しいことを考えず叫びたいように叫べばよい、ということなのだ。


今回の5作目のアルバムは、前作「Everythig Harmony」とは明らかに異なり、単なる懐古主義の作品とは決めつけがたい。いくつか新鮮な試みが見いだせることも、リスニングの密かな楽しみになるに違いない。レモン・ツイッグスは、チルウェイブやローファイ、ヨットロック、ジャズの要素を他の収録曲で織り交ぜていて、これらが今後どんな形になっていくか楽しみ。例えば、「I Dream is All I Know」では、チルウェイブ風のロックソングを制作し、「Ember days」ではヨットロックをフォークやジャズと絡め、安らぎと癒やしに満ちたナンバーを制作している。しかし、こういった多角的な音楽のアプローチも見受けられる中、アルバムのクローズを飾る「Rock On」では、やはりクラシックなロックに回帰している。そして、ブルースの基本的なスケールを基にして、Sweetやマーク・ボラン擁するT-Rexを思わせる渋いグリッターロックを書いているのは、いかにもレモン・ツイッグスらしいといえるか。




90/100

 


Best Track-「How Can I Love Her More?」


今年2024年に、9枚目となる最新アルバム『Imitation of War』を発表したばかりのアメリカ人女性フォークシンガー、Kayla Cohenによるプロジェクト、Itascaが待望の初来日公演を行います。ツアーサポートにシンガーソングライターの浮を迎え、東京・京都で2公演を行います。詳細は下記の通り。



INDIE ASIA presents   ''Itasca Japan Tour 2024''


7/9日(火) 開場19:00/開演19:30

東京・渋谷7th FLOOR


7/10(水) 開場19:00/開演19:30

京都・京都UrBANGUILD


全席自由 ¥4,800(税込)+1ドリンク代別途


オフィシャル先行

受付期間:5/8(水) 20:00〜5/19(日)23:59 ※先着



「Imitation of War」




最新アルバムのレビューはこちらからお読み下さい:






Itasca  biography:



イタスカは、ロサンゼルスを拠点に活動するギタリスト、シンガー、ソングライターのケイラ・コーエンの音楽的アイデンティティである。19世紀の擬似オジブエ語地名であり、ラテン語の「真実」(veritas)と「頭」(caput)の合成語であるイタスカという名前自体が曖昧であるように、コーエンの音楽プロジェクトもまた変幻自在で多義的である。


ニューヨーク州のハドソン川近くで育ったコーエンは、2011年にブルックリンからLAに移り住んだ。13歳でギターを弾き始めたが、彼女のソングライティングのイディオムは、長年続けてきたノイズとドローンの練習から徐々に生まれてきた。『パラダイス・オブ・バチェラーズ』からの3枚を含む、数枚のリリースの過程で洗練されたイタスカとしての彼女の詩的で時空を超えたレコーディングは、このずれた地理と、バロック的でアシッド・フォークを取り入れたソングクラフトと脱構築的でテクスチュアルなソニックの両方に対するヤヌスのようなまなざしの両方を反映している。

Yonaka


YONAKAに起きた異変……。2014年にブライトンで結成されたYONAKAは当初、ロックバンドという触れ込みで活動していたが、四人組からトリオ編成になるにつれ、ドラスティックな音楽性の転換を図ろうとしている。YONAKAはライブを活動のベースに置き、いつも観客にどのような影響を与えられるかを考えてきた。もちろん、ライブ・パフォーマンスを通してである。

 

テレサ・ジャーヴィス(ヴォーカル)、アレックス・クロスビー(ベース)、ジョージ・ウェルブルック・エドワーズ(ギター)の3人組は、ポップ、パンク、ヒップホップを融合させ、ヒプノティックなオルタナティヴ・ロックのハイブリッドに仕上げた。このグループは、明確な意図と広大なビジョンを持ち、メンタルヘルス、エンパワーメント、そして「今、ここ」のテーマを深く掘り下げようとしている。1億5,000万回以上のストリーミングを記録し、幅広い賞賛を得たYONAKAは、LAVA/Republic Recordsからリリース予定のEPで次の章をスタートさせることになった。

 

テレサ・ジャービスは不安や抑うつ状態など、自身のメンタルヘルスの問題から、 それらをモチーフにしたロックソングを書いてきた。YONAKAは他のロックバンドと同じように、問題を抱える人の心を鼓舞し、最も暗い場所から立ち上がる手がかりを与える。そしてジャービスは自分と同じような問題を抱えるリスナーに”孤独ではないこと”を伝えようとしてきた。それらのメッセージがひとつの集大成となったのが昨年に発表された『Welcome To My House』だった。


2024年に入って、YONAKAは劇的な変化を遂げた。テレサ・ジャービスのソングライティングは昨年まではまだクリーンな曲が中心だったが、年明けすぐに発表された「Predator」ではホラーパンクともSFチックなニューメタルともつかない最もヘヴィーなロックバンドへと変身を果たした。昨年まではスクリームやシャウトをすることに関してためらいを持っていたテレサ・ジャーヴィスのボーカルには、なんの迷いもなくなり、SlipknotやArch Enemyに匹敵するエクストリームなボーカルを披露するようになっている。バンドサウンドに重要なエフェクトを及ぼすのが、ニューメタルに触発された考えられるかぎりにおいて最もヘヴィーなギターである。昨年まではロックバンドとしての印象を大切にしていたため、ギター・ソロを披露することに遠慮があった。しかし、今年に入ってから何が起きたのか、ジョージ・エドワーズのダイナミックなギターが曲の中を縦横無尽に駆け回り、およそミクスチャー以降のニューメタルの系譜にある迫力のあるギターソロが稲妻のように駆けめぐり、そしてエナジーを極限まで引き上げる。それはスリーピースのバンドとは思えぬほどのヘヴィネスであり、そして激しさなのである。


今週末、LAVAからリリースされた「Fight For Right「権利のために闘う」)では、ボーカリストのテレサ・ジャーヴィスはシンプルに自分たちの権利を守るために歌を歌っている。ここには主張性を削ぎ落とした結果、ニュートラルになったバンドとは全く異なる何かが含まれている。彼らは口をつぐむことをやめ、叫ぶことを是としたのだ。

 

トリオは昨年までのロックバンドとしての姿を留めていたが、年明けのシングル「Predator」と合わせて聴くと、全然異なるバンドへと変貌を遂げたことがわかる。ライブイベントやファンとの交流の中で、”ファンの声を聞き、それを自分たちの音楽に取り入れることが出来た”と話すテレサ・ジャービスが導き出した答えは、YONAKAがニューメタルバンドとしての道を歩みだすことだったのだろうか。「Fight For Right」は彼らが書いてきた中で、最もグルーヴィな一曲。彼らはトレンドから完全に背を向けているが、その一方、最もサプライズなナンバーだった。誰にでも幸福になる権利があり、そしてそれは時に戦うことにより獲得せねばならない。

 

 

 「Fight For Right」

Mdou Moctor   『Funeral For Justice』
 

 


 

Label: Matador

Release: 2024/05/03

 

 

 

Review    Oh France!

 

 

西アフリカのサハラ砂漠にほど近い地域にトゥアレグ族という民族が暮らす地域がある。彼らは白装束を身にまとい、そしてテントで拠点を張って生活しているらしい。しかし、そういった原始的ともいうべきアフリカの姿は今や幻想のものとなりつつある。アフリカの都市圏では、すでに2000年以降の東南アジアのような暮らしを多くの市民は送っており、彼らはデジタルデバイスを所有し、そして町中にはバスが通い、現代的な生活がごく普通になってきている。


そしてトゥアレグは、ある意味では音楽的な民族であり、このグループからはエムドゥー・モクターだけではなくティナワリンというグループも登場している。どちらも1970年代のヘンドリックス、グレイトフル・デッドを思わせるような古典的なロックバンドである。そして表向きのイメージではエムドゥー・モクターについてはヘンドリックスの再来というキャッチフレーズばかりが独り歩きする場合があるものの、グループの音楽的な魅力は、実はロックミュージックだけにとどまらない。彼らは、西アフリカの三拍子の民族音楽ーフォークミュージックを次世代に伝える役割を持っていて、それはこの最新作『Funeral For Justice』にも共通する事項である。もちろんいうまでもなく、そこには"タマシェク語"という固有言語の次世代に伝えるという意義もある。

 

すでに述べたように、アフリカ圏の国家のほとんどは、植民地化における辛酸を舐めてきたのは事実である。それは19世紀に始まり第二次世界大戦後の独立の時代まで表向きには続いた。この場合、単一の国家にその責任を負わせるのは残酷である。なぜなら、どのような国家もどこかの時代のおいて領土を広げようとしてきた経緯があり、それはある意味では国家の富を増加させようとする国家にとって避けられぬ運命だからである。しかし、国土としての植民地化という構図の他にも、”経済的な植民地化”という考えがある。換言すれば、金融支配下に国家や国民を置くという政治構造である。そして、この間接的な統治形態はそれ以降の時代も長期にわたって続いたのである。この旧態依然とした金融支配を断ち切るべく、アフリカ独自の金融市場を開放させようとしたカダフィが、どのような結末を迎えたのかはすでに多くの人々が知るところではないかと思う。彼は金融が命よりも重いということを身をもって知ることになった。2000年代以降の世界情勢において、永遠に続くと思われた欧米社会による金融支配であったのだが、近年、ロシアや中国の主導によるBRICSの動きにアフリカ諸国が賛同し、実際に参加している点を見るかぎり、古くは大英帝国や以降の米国が主導したような一強支配の構造はもはや過去の幻影になりつつあり、実際的に単一の通貨はその支配力を弱めているのである。

 

 

エムドゥー・モクターが台頭し、世界のロックファンがその存在を知るところになったのは、ある意味では必然的な流れではなかったかと思う。彼らは決して新しい音楽を提示するわけではないが、その中にはハードロックの普遍的な魅力があり、そしてエムドゥー・モクターのギターには瞑想的な響きがある。伝説となったのが、ニジェールの河畔でのライブセッションであり、彼らが演奏をしはじめるやいなや、周囲にいた生物がバンドの周りに集まってきたのである。そういった商品化されたものとは別のリアルな質感を持つロックミュージックは、パッケージされた音楽に対するアンチテーゼともいえ、またそれが彼らの新作アルバムの醍醐味でもある。ただ、エムドゥー・モクターの音楽を単なるエキゾチズムとして解釈しているうちは、バンドの本当の魅力に迫ることは難しいのではないだろうか。なぜなら、そこには先進国の市民としての驕りがあり、少なくともそういった異文化のものを下に見ている証拠なのだから。

 

 

こういったバンドが気を付けておきたいことは、その音楽が見世物やミュージカルにならない、ということである。なぜなら西アフリカの音楽はわたしたちが今まで知らなかったに過ぎず、わたしたちが生まれる前から存在していた。ただ、そのことを知らなかったという無知によるものなのである。そう考えると、マタドールから発売された「Funeral For Justice」は純粋なロックミュージックの魅力を体感できるのは事実だが、それと異なるポスト・リスニングが可能となる。つまり、ハードロックのリズムや高らかなギターの響きとは別に今までわたしたちがしらなかったものをあらためて再確認するという意味が求められるのである。いつもわたしたちは何かをよく知っているように装うが、実は、本当のことは何も知らず、無明の状態にある。ロックバンド、エムドゥー・モクターの音楽には、”平均化された音楽評価”とは別に、音楽をやることや演奏することの意義や、その動機のようなものが顕著なかたちで含まれている。

 

このアルバムには同じトゥアレグ族から登場した”Tinawarin”と同じタイプに属するハードロックソングが収録されている。その筆頭は、タイトル曲、「Sousoume Tamacheq」、「Imajighen」、「Tchinta」となる。これらのハードロックソングには、西アフリカの持つグリオの時代からの儀式音楽としての三拍のリズムや、ギターのフレーズ、固有言語が含まれている。上記の曲をリスニングする際には、ぜひ音楽だけではなく、歴史の香りを探してみていただきたい。さらに、今回のリリースで新しくプロデュースの側面で付け加えられたのが、エムドゥーモクターのロックソングを、エレクトロニック/ダンスミュージックの側面から解釈するという要素である。これらは、彼らの音楽が単なる往古の時代のものではなくて、今の時代に生きる音楽であることを示唆している。それに加えて、西アフリカ圏の民族音楽の色合いが加わる。いわば、エムドゥー・モクターしか生み出し得ない音楽が作り出されたとも言えるのだ。

 

 

なおかつ今回のアルバムでは、前作よりも民族音楽の要素が付け加えられ、エンターテインメントのような形、つまり、一般的に親しみやすい音楽として収録されている。「Imouhar」、「Takoba」、「Djallo #1」、「Modern Slaves」を聴くと、トゥアレグ族の生活がどのようなものであるか目に浮かんできそうである。彼らは、20世紀までアフリカの民族が奴隷の境遇に甘んじてきたことに関して、悲しみや憂いを交えることもあるが、そのことを悪徳であるようには思っていないらしい。なぜなら、それが悪となると、その立場にあった人々への冒涜になりえる。もっといえば、悲しみに沈んだ人々のスピリットが浮かばれなくなるからである。彼らは、アフリカの植民地の時代を踏まえた上で、この地域の代弁者となり、建設的で明るい未来をロックソングに乗せて歌う。「Oh France」は、彼らのアフリカ地域の宗主国であったフランスへの苦言もあるが、少なくとも、それらの二つの歴史に対して多大な敬意が払われている気がする。

 

 

 

 

85/100

 

 

 

「Modern Slaves」

 

©︎Jules Moskovtchenko

フィリピン/イロイロ出身で、現在ロンドンで活動するシンガー、Beabadoobee(ビーバドゥービー)が次のアルバムを発表しました。ビーバドゥービーは昨今、ポップシンガーとしてイギリス国内で絶大な人気を獲得しています。

 

本日、ビー・クリスティは、ジェイク・アーランドが監督したミュージックビデオ付きのシングル「Take a Bite」で、”beatopia”の続編のプレビューを提供した。以下よりご覧下さい。


ビーバドゥービーは、プロデューサーのリック・ルービンとシャングリ・ラ・スタジオで『This Is How Tomorrow Moves』をレコーディングした。「このアルバムが大好きよ。「このアルバムは、この新しい時代、自分が今いる場所についての新しい理解をナビゲートする上で、他の何よりも私を助けてくれたような気がする。それは女性になるということだと思う。


「この曲では、自分の行動をより意識していると思う。以前のアルバムでは、私は一貫して他人の行為に対する自分の反応について歌っていた。でもこのアルバムでは、自分の責任も必然的にあることを受け入れている。幼少期のトラウマであれ、人間関係の問題であれ、何事もタンゴを踊るには2人は必要なんだ」


ニュー・シングルについて、彼女は次のように語っています。「自分の考えや不健康な生き方について内省的になっている。慣れ親しんだ場所に安らぎを見出すこと、つまり混沌の中に安らぎを見出すこと。だから、私はそれを生活のあらゆる面、特に人間関係に持ち込んでいる。私の脳のこの部分を利用することで、これまでに知られている中で最もネガティブで最もカオスな思考にまっすぐ飛びつき、それを自分の現実にするの」


ニューアルバム『This Is How Tomorrow Moves』は8月16日にDirty Hitからリリースされます。現時点では全収録曲は非公開となっており、アルバムジャケットのみ解禁となっています。



beabadoobee   『This Is How Tomorrow Moves』



 


ヘリテージアイルランドOPWが主催するライブストリーミングイベントが5月9日に開催された。

 

音楽シリーズ「Anam-アナム」は四回にわたって開かれ、その第1回が、2024年5月9日(木)に開催された。このイベントは名門オーモンド城からライブストリーミングされ、エイドリアン・レンカー、ユーリー、ミューリアン・ブラッドリーといった才能あるアーティストが出演した。今回、エイドリアン・レンカーのライブパフォーマンスが公開されましたので下記よりご覧下さい。


4つのエピソードからなる「Anam - Songs for Hearts & Minds」は、ライブ・パフォーマンスとアイルランドの注目すべき重要な歴史的建造物の美しさを融合させながら、視聴者を感動的な音楽の旅へと誘う。キエラン・オドネル公共事業担当国務大臣は次のように述べています。


「公共事業省担当大臣として、昨年のアザー・ヴォイセズ音楽シリーズの成功に続き、アザー・ヴォイセズと住宅・地方政府・遺産省と再び提携できることを大変嬉しく思っています。このエキサイティングなプロジェクトは、全国の芸術、文化、歴史、遺産のつながりを祝うものです。アイルランドの最も才能あるアーティストたちによる音楽演奏が、これらの素晴らしい歴史的建造物や場所に囲まれて、より意味深いものになることを楽しみにしています。」



ブルックリンを拠点とするインディー・フォーク集団Big Thiefのリード・ヴォーカル、ギタリスト、そして主要ソングライターである彼女は、ソロ・プロジェクトでも有名で、2020年のアルバム『songs & instrumentals』をリリースし、賞賛を浴びた。インディアナ出身の彼女のニュー・ソロ・アルバム『ブライト・フューチャー』は、3月22日に4ADからリリースされました。エイドリアンヌのソロミュージックやグラミー賞に4度ノミネートされたバンド、ビッグ・シーフを敬愛する人々は、『ブライト・フューチャー』で彼女の確かな才能が驚くほど鮮明に、磁力をもって捉えられていることに気づく。この32歳のミュージシャンは、4月に予定されているアルバムのプロモ・ツアーで、ゴールウェイ、キルケニー、ダブリンで演奏しています。



 


Charli XCXがニューシングルとビデオ「360」を公開した。このニューシングルは近日発売予定のアルバム『BRAT』の収録曲となっています。最初の試聴曲である「Von dutch」は、パリのシャルル・ド・ゴール空港で撮影された混沌とした見事なビデオとともに今月初めに到着した。


2022年の「CRASH」に続く「BRAT」は6月7日(金)にリリースされる。プレスリリースでは「ハイアートの引用と社会的な論評を中心に構築された爽快なクラブレコード」と説明されている。


「360」

Weekly Music Feature


 

 Marine Eyes

 

マリン・アイズ(シンシア・バーナード)は、アンビエント、シューゲイザー、ドローン、フィールド・レコーディング、ドリーム・ポップを融合させ、この瞬間に生まれながら、過去からの教訓を織り交ぜた物語を綴ります。


現在ロサンゼルス在住のバーナードは、北カリフォルニアで育ち、音楽がとても大切にされている家庭で育った。シンシアの祖母が脳卒中で倒れ、話すことはできても歌うことができなくなったとき、シンシアはセラピーとしての音楽に魅了されました。


何年もの間、彼女は音楽を自分自身と親しい友人や家族だけにとどめていたが、2014年に現在の夫ジェイムズ・バーナードと出会い、2人は一緒に音楽を書き始め、アンビエント・プロジェクトで目覚めた魂を分かち合うようになりました。2021年にStereoscenic Recordsからソロ・デビュー・アルバム「idyll」を、2022年にはPast Inside the Presentから「chamomile」をリリースしています。


現在、彼女は定期的にミニチュアの世界を構築し、自然の中で静寂を迎えながら、音の癒しの特質やセメントの大切な瞬間を探求しています。2024年にパスト・インサイド・ザ・プレゼントから3枚目のソロ・アルバムがリリースされます。


3枚目のソロアルバム『belong』を作り上げる感情や人間関係の脈動をパッケージ化する手段としてバーナードは幾つもの言葉を日記に残しました。直接的で喚起的な構文はイー・カミングス(アメリカの画家)を想起させ、彼女はこのコレクションで親しみやすい魂によって彩られた水たまりのような光景を、愛によるイメージで表現しています。


バーナードの瞑想的な手法により、「To Belong- 帰属」は本来あるべき生命の姿に近づいていきます。物理的な世界、時間の連続体、愛する人の腕の中にある居場所を表現するような、稀有で繊細な感覚に。トリートメントされたギター、ソフトなシンセ、輝く声のレイヤーを駆使し、全体的な抱擁の感覚を織り交ぜる。『To belong』には、フィールド・レコーディングや、彼女の大切な家族や友人の声も優しく彩られている。これらには、以前カモミールにインスピレーションを与えた、日記と記録への愛が貫かれています(『Past Inside the Present』2022年)。


オープニングのタイトル・トラックは、鳥の鳴き声とヴォーカルの言葉がゆるやかな波さながらに寄せては消え、綛(かせ)から取り出された毛糸のようなテクスチャーを紡いでゆく。「bridges」は、柔らかにかき鳴らされるギター、澄明な瞳のマントラが霧中から現れる。夕まぐれの浜辺で焚き火を囲みつつ、子供たちのために、この曲を演奏する彼女の姿を想像してみて下さい。


「cemented」は、亡き叔父が大切にしていたギターの弦がタペストリーさながらに絡み合い、お気に入りの公園を散歩したさいの足音が強調され、無限の空間を作り上げていきます。憂鬱と畏怖が共存する短いパッセージにより闘病中の妹の勇気を称え作曲された「of the west」、カリフォルニアの緑豊かな季節を淡いきらめきに織り交ぜ、牧歌的なテーマ(Stereoscenic, 2021)と呼応する「suddenly green」など、彼女の旅は続く。これらは疑いなしに深く個人的な作品であることはたしかなのですが、その慈愛と共感の魅力的な空気に圧倒されずにいられないのです。


「mended own」は、プリズム写真に傾倒するバーナードの内省的な研究と合わせて、フォーク・バラード・モードを再現しています。絶えず屈折したり、分解したり、融合したり、あるいは光線と戯れたりする彼女の音楽の性質は、アルバムのジャケット画像に象徴づけられるように、出来上がりつつある虹の中でそれぞれの要素が際立つようにアレンジと融合しています。「柔らかな手に握られたこの光は/重い石を/手放す」とバーナードは穏やかに歌い、オーバーダビングされたテープに残された亡霊さながらに、背景を横切って細部を際立たせる。


最後の「to belong」は、長年の血筋の影響(USCのリトル・チャペル・オブ・サイレンスを作った曾祖母のために書かれた "in the spaces")と親しい友人の無条件の愛("all you give (for ash)")を呼び起こし、感謝と無常への2部構成の頌歌で幕を閉じる。「night palms sway」は、街灯の下でひらひら舞う昆虫だけが目撃する、日の終わりに手をつないで歩く親しげな光景を想起させるでしょうし、「call and answer」は、聴けば歌ってくれるミューズへの賛歌となる。最後の曲については、束の間の別離を惜しむというよりも、再び会いたいという親しみが込められているのです。


マリン・アイズは、詳らかに省察を重ね、受容し、実存の偶然性に感謝し、彼女の音楽の世界を作り上げます。「個人的な歴史に巻き起こる出来事すべてになんらかの意味が込められている」バーナードは断言します。「あらゆる偶発的な出来事や、わたしたちを取り巻くあらゆるもののもろさやよわさを考えるとき、一への帰属意識こそがきわめて貴重なものになりえる」と。



--Past Inside The Present



『To Belong』




マリン・アイズのプロデューサー名を関して活動を行うLAのシンシア・バーナードは、夫であるジェームス・バーナードと夫婦で共同制作を行い、ソロアーティストとして別名義のリリースを続ける。アンビエントミュージシャンとして夫婦で活動を行う事例は珍しくなく、例えば、ベルギーのクリスティーナ・ヴァンゾー/ジョン・アルゾ・ベネット夫妻が挙げられます。ベルギーの夫妻はロンドンのバービカン・センター等でもライブ・イベントを行っている。クリスティーナ夫妻の場合は、シンセサイザーとフルートの組み合わせでライブを行うことが多い。

 

そして、二つのパートナーに共通するのは、コラボレーターとして共同制作も行い、そのかたわら、ソロ名義の作品もリリースするという点なのです。ふと思い出されるのは、昨年末、夫のジェームス・バーナードのアンビエントアルバム『Soft Octave』がリリースされたことです。年の瀬も迫ると、大手レーベルのリリースはほとんど途絶えますが、その合間を縫うようにし、インディペンデントなミュージシャンの快作がリリースされる場合がある。バーナードさんのアルバム”Soft Octave”は、妻のシンシアとは異なり、クールな印象を持つアンビエントで、音楽に耳を傾けていると、異次元に引っ張られていくような奇異な感覚に満ちていました。とくに「Cortege」という曲がミステリアスで、音楽以上の啓示に満ちていたような気がしたものでした。いや、考えてみると、理想的な音楽とはなんらかの啓示でもあるべきなのでしょうか??

 

夫であるジェームス・バーナードの音楽とは異なり、妻のマリン・アイズの音楽は自然味に溢れていて、言ってみれば、ロサンゼルスの自然からもたらされるイメージ、内的な瞑想、そして静寂を組みわせて、癒やしの質感を持つアンビエントを制作しています。祖母の病気をきっかけに音楽制作をはじめるようになったマリン・アイズは、ヒーリングのための音楽を制作しはじめ、当初それを公に発表することもためらっていましたが、しかし、彼女の音楽を家族や身内だけに留めておくのは惜しく、より多くの人の心を癒やす可能性を秘めています。シンシア・バーナードの現時点での最高傑作として、昨年、エクスパンデッド・バージョン「拡張版)として同レーベルからリリースされた「Idyll」が真っ先に思い浮かびます。この作品では、サウンドデザインの観点からアンビエントが制作され、その中にシンシア・バーナードのギターに彼女のボーカルが組み合わされ、”アンビエント・ポップ”ともいうべき新しい領域を切り開いたのです。もちろん、このことに関して、当のミュージシャンが必ずしも自覚しているとは限りません。新しい音楽とは、あらかじめ予期して生み出されるものではなく、いつのまにか、それが”新しいものである”とみなされる。音楽の蓋然性の裏側に必然性が潜んでいるのです。



シンシアの3作目のアルバム”To Belong"が、なんのために書かれたものであるのかは明確です。人間の存在が分離した存在なのではなく、一つに帰属すべきものであるという宇宙の摂理を思い出すために書かれているのです。人間の一生とは、分離に始まり、合一に戻っていく過程を意味する。そのことに何歳になってから気がつくものか、死ぬまでそのことがわからないのか。それぞれの差別意識、肌の色の違い、性別の違い、また、考えの違い、ラベリングの違い、ひいては、宗教、民族の違い、所属の違いへと種別意識が押し広げられていき、最終的には、政治、国家、実存の違いへと意識が拡大していく。そこで、人々は自分がスペシャルな存在であると考えて、自分と異なる存在を敵視し、ときに排斥することを繰り返すようになってしまう。ときに、それが存在するための意義となる。しかしながら、それらの差別意識は、根源的には生命の存在が合一であることを”思い出させる”ために存在すると考えてみたらどうなるでしょう?? それらの意味は覆されてしまい、個別的な存在がこの世にひとつも存在しないということになる。 

 

 

 

・1ー3

 

この音楽はミヒャエル・エンデの物語のように始まりもなければ終わりもありません。そしてミュージシャンが述べているように、これらのアンビエントは根源的な生命の偏在を示唆し、言い換えれば「どこにでもあり、どこにもない」ということになる。しかし、それは言辞を弄したいからそう言うのではなく、シンシア・バーナードの音楽のテクスチャーの連続性は、たしかに生命の本質を音楽というかたちで、のびのびと表現されているからなのです。シンセのシークエンス、バーナードさんがLAで実地に録音したフィールド・レコーディング、それからギターとボーカルという基本構造を基にし、アンビエントミュージックが構築されていきますが、 アルバムの導入部分でありタイトル曲でもある「To Belong」は、パンフルートの音色をかけあわせたシンセのシークエンスがどこまでも続き、音像の向こうに海のさざめきの音、鳥の声がサンプリングで挿入され、自然味のあるサウンド・デザインが少しずつ作り上げられる。このアルバムを聴くにつけ、よく考えるのは、アーティストが見たロサンゼルスの光景はどのようなものだったのかということなのです。もちろん、いうまでもなくそこまではわからないのですが、その答えはアルバムの中に暗示され、海の向こう側の無限へと続いているのかもしれません。これらの一面的を超越した多角的なサウンド・デザインは、実際に世界がミルフィールのような多重構造を持つ領域により構築されていることをありありと思い出させるのです。

 

マリン・アイズの音楽は、Four Tet、Floating Pointsのようなサウンドデザインの領域にとどまることはなく、Autechre、Aphex Twinの音楽に代表されるノンリズムで構成されるクラブ・ミュージックに触発されたダウンテンポに属するナンバーに変わることもある。そしてどうやらこの試みは新しいものであるらしく、マリン・アイズの音楽の未知の側面を表しているようなのです。例えば、#2「husted」は(モジュラー)シンセによってミクロコスモスから始まった音像空間が極大に近づき、マクロコスモスへと押し広げられる。この作風は、リチャード・ジェイムスが90年代のテクノブームを牽引する以前に、「Ambient Works」で実験的に示したものでもあったのですが、シンシア・バーナードは旧来のダウンテンポの要素にモダンな印象を添えようとしています。単なるワンフレーズの連続性は、ミニマリストとしてのバーナードの音楽性の一端が示されているように思えるかもしれませんが、実は、そのかぎりではなく、トーンやピッチの微細な変容を及ぼすことにより、轟音の中に安らぎをもたらすのです。これはジョン・アダムスが言っていたように”反復は変化の一形態である”ということでもあるのです。

 

 

マリン・アイズはフィールドレコーディングで生じたエラー、つまり、ヒスノイズをうまく活用し、グリッチノイズのような形でアンビエント・ミュージックに活用しています。シンシア・バーナードはカルフォルニアの自然の中に分け入り、リボン・バイクを雑草地に向け 、偶然性の音楽を捉えようとしています。#3「Timeshifting」には風の音、海の音、そのほかにも草むらに生息する無数の生き物の声を内包させていると言えるのです。私自身はやったことがないのですが、フィールドレコーディングというのは、そのフィールドに共鳴する人間の聴覚では拾いきれない微細なノイズを拾ってしまうことがよくあるそうなのですが、しかし、これらのアクシデンタルな出来事はむしろ、実際の音楽に対してその空間にしか存在しえない独特なアトモスフェールを録音という形で収めることに成功しています。そして、これが奇妙なことに現実以上のリアリティーを刻印し、現実の中に表れた偶然のユートピアを作り出す。アンビエントのテクスチャーの中に、マリン・アイズは自身のボーカルをサンプルし、現実に生じた正しい時の流れを作り出す。ボーカルテクスチャはミューズさながらに美しく、神々しい輝きを放つかのような聴覚的な錯覚をおぼえさせる場合がある。この曲はまたボーカルアートにおけるニュースタンダードが生み出されつつある瞬間を捉えることも出来ます。

 


#3「timeshifting」



・4−10

 

現代の女性のアンビエントプロデューサーの中には、ドリーム・ポップ風の音楽とアンビエントやレクトロニックをかけあわせて個性的な作風を生み出すミュージシャンが少なくありません。例えば、ポートランドから西海岸に映ったGrouperことリズ・ハリス、他にもヨーロッパでのライブの共演をきっかけに彼女の音楽から薫陶を受けたトルコのエキン・フィルが挙げられます。そして、シンシア・バーナードもまたアコースティックギターの演奏を基本にして、癒やしの雰囲気のあるアンビエントを制作しています。このドリーム・ポップとアンビエントの融合というのは、実は、ハロルド・バッドがロビン・ガスリーとよく共同制作を行っていたことを考えれれば、自然な流れといえます。つまり、ドリーム・ポップはアンビエント的な気質を持ち、反面、アンビエントはドリーム・ポップ風の気質を持つ場合がある。このことはジャンルの出発である[アンビエントシリーズ]を聴くとよりわかりやすいかもしれません。

 

#4「Bridges」はジャック・ジャクソンを思わせる開けたサーフミュージックをドリーム・ポップ風の音楽として昇華させていますが、 むしろこの曲に関しては、マリン・アイズのポピュラーなボーカリストとしての性質が色濃く反映されているようです。そしてシンプルで分かりやすい音の運びは彼女の音楽に親しみを覚えさせてくれます。一方でインディーフォークをベースにしたアコースティックの弾き語りのスタイルは、日常生活に余白や休息を設けることの大切さを歌っているように思えます。また、トラックの背後に重ねられるガットギターの硬質な響きが、バーナードの繊細な歌声とマッチし、やはりこのミュージシャンの音楽の特徴であるドリーミーな空気感を生み出す。続く#5「cemented」ではモダンクラシカルとアンビエントの中間にあるような音楽で、シカゴの作曲家/ピアニスト、Gia Margaretを彷彿とさせるアーティスティックな響きを内包させています。もしくはリスニングの仕方によっては、坂本龍一とコラボレーションした経験があるJuliana Berwick(ジュリアナ・バーウィック)のアンビエントとボーカルアートの融合のような意図を見出す方もいるかもしれません、少なくとも、この2曲では従来のシンシア・バーナードの音楽の重要なテーマである癒やしを体験することが出来ます。


上記の2曲はむしろ日常生活にポイントを置いたアンビエントフォークという形で楽しめるはずですが、次に収録されている#6「Of The West」では再び抽象的で純粋なアンビエントへと舞い戻る。そしてモジュラーシンセのテクスチャーが立ち上がると、霊妙な感覚が呼び覚まされるような気がするのです。バーナードの作り出すテクスチャーは、ボーカルと融合すると、ジュリアナ・バーウィックやカナダのSea Oleenaの制作と同じように、その音の輪郭がだんだんとぼやけてきて、ほとんど純粋なハーモニーの性質が乏しくなり、アンビバレントな音像空間が作り出される。こういったぼやけた音楽に関しては、好き嫌いがあるかもしれませんが、少なくともバーナードの制作するアンビエントはどうやら、日常生活の延長線上にある心地よい音が端的に表現されているようです。それは空気感とも呼ぶべき感覚で、かつて日本の現代音楽家の武満徹が”その場所に普遍的に満ちているすでに存在する音”と表現しています。

 

同じように、エレクトリックギターとシンセテクスチャーを重ねた#7「Suddenly Green」はGrpuper、Sea Oleena、Ekin Fill、Hollie Kenniffといった、このドリームアンビエントともいうべきジャンルの象徴的なアーティストの系譜にあり、まさに女性的な感性が表現されています。 バーナードは自身のギターの断片的な演奏をもとに、反復構造を作り出し、ひたすら自然味のある癒やしの音楽を作り上げていきます。これらは緊張した音楽や、忙しない音楽に疲れてしまった人々の心に休息と癒しを与えるいわばヒーリングの力があるのです。音楽を怖いものと考えるようになった人は、こういった音楽に耳を澄ましてみるのもひとつの手段となるでしょう。また、テープディレイを掛けてプロデュース面での工夫が凝らされた#8「mended own」はこのアルバムの中盤のハイライト曲になりそうです。この曲は、ポピュラー・ボーカリストの性質が強く、エンヤのようなヒーリング音楽として楽しめるはずです。バーナードさんが自身の歌声によって表現しようとするカルフォルニアの風景の美しさがこの曲には顕著に表れています。アウトロにかけての亡霊的なボーカルディレイはある意味では、アーティストがこのアルバムを通して表現しようとする魂の在り方を示し、それが根源的なものへ帰されてゆく瞬間が捉えられているように感じられます。少なくとも、アウトロには鳥肌が立つような感覚がある。もしかすると、それは人間の存在が魂であるということを思い出させるからなのかもしれません。

 

アウトロのかけて魂が根源的な本質に返っていく瞬間が暗示的に示された後、#9「all you give(for ash)」ではボーカルテクスチャーをもとに、アブストラクトなアンビエントへと移行していきます。ここでは波の音をモジュラーシンセでサウンド・デザインのように表現し、それに合わせて魂が海に戻っていくという神秘的なサウンドスケープを綿密に作り上げています。ときおり、導入されるガラスの音は海に流れ着いた漂流物が暗示され、それが潮の流れとともに海際にある事物が風によって吹き上げられていくような神秘的な光景が描かれています。パンフルートを使用したシンセテクスチャーの作り込みは情感たっぷりで、アウトロではカモメやウミネコのような海辺に生息する鳥類の声が同じようにシンセによって表現されています。

 

これらの神秘的な雰囲気は#10「bluest」にも受け継がれており、デジタルディレイをリズムの観点から解釈しながら、繊細なギターをその中に散りばめています。短いミニマリズムの曲ではあるものの、この曲にはボーカリストやプロデューサーとは異なるギタリストとしてのセンスを見て取ることが出来る。二つのギターの重なりがディレイ処理と重なり合い、切ない感覚を呼び起こすことがある。このあたりに、アルバムの完成度よりも情感を重んじるマリン・アイズの音楽の醍醐味が宿っています。この曲を聞くかぎり、もしかすると、完璧であるよりも、少しだけ粗や欠点があったほうが、音楽はより魅力的なものになる可能性が秘められているように思える。 

 

 

「bluest」

 

 

 

・11-14

 

プレスリリースでは二部構成と説明されているにも関わらず、三部構成の形でアルバムのアナライズを行ってまいりましたが、「To Belong」では制作者の考えが明確に示されています。それは例えば、人間の生命的な根源が海に非常に近いものであるということなのです。例えば、この概念と呼ぶべきものは、アンビエントテクスチャーとボーカルテクスチャー、そしてギターの演奏の融合という形で大きなオーラを持つ曲になる場合がある。「Night Palms Sway」では西海岸の海辺の風景をエレクトロニックから描出するとともに、エレクトリックギターのアルペジオを三味線の響きになぞられ、ジャポニズムへのロマンを表してくれているようです。それほどギターの演奏が卓越したものではないにも関わらず、そのシンプルな演奏が完成度の高い音楽よりも傑出したものであるように思わせることがあるのは不思議と言えるでしょう。


アルバムの最終盤でもマリン・アイズの音楽性は一つの直線を引いたように繋がっています。つまり、アイディアの豊富さはもちろん大きな利点ではあるのですが、それがまとまりきらないと、散逸したアルバムとなってしまう場合があるのです。少なくとも、幸運にも、マリン・アイズはジェームスさんと協力することでその難を逃れられたのかもしれません。「In The Space」では至福感溢れるアンビエントを作り出し、人間の意識が通常のものとは別の超絶意識を持つこと、つまりスポーツ選手が体験する”フローの状態”が存在することを示唆しています。そして優れた音楽家や演奏家は、いつもこの変性意識に入りやすい性質を持っているのです。一曲目の再構成である「To Belong(Reprise)」では、やはりワンネスへの帰属意識が表現されています。本作の収録曲は、ふしぎなことに、別の場所にいる話したことも会ったこともない見ず知らずのミュージシャンたちの魂がどこかで根源的に繋がっており、また、その音楽的な知識を共有しているような神秘性があるため、きわめて興味深いものがあります。音楽はいつも、表面的なアウトプットばかりが重要視されることが多いのですが、このアルバムを聴くかぎりでは、どこから何をどのように汲み取るのか、というのを大切にするべきなのかもしれませんね。

 

 

アルバムの最後を飾る「call and answer」はアコースティックギター、シンセ、ボーカルのテクスチャーというシンプルな構成ですが、現代のどの音楽よりも驚きと癒やしに満ちあふれています。ディレイ処理は付加物に過ぎず、音楽の本質を歪曲するようなことはなく、伝わりやすさがある。このアルバムを聴くと、音楽のほんとうの素晴らしさに気づくはず。良い音楽の本質とは?ーーそれはこわいものでもなんでもなく、すごくシンプルで分かりやすいものなのです。

 

 

 

 

 

90/100

 

 

 

*Bandcampバージョンには上記の14曲に、ボーナス・トラックが2曲追加で発売されています。アルバムのご購入はこちらから。


 


トロント/オンタリオ出身のインディーロックユニット、Ducks Ltd.(ダックス・リミテッド)がハートウォーミングな雰囲気あふれるニューシングル「When You're Outside」をリリースしました。

 

今回のシングルは未発表テイクで、最新作『Harm's Way』のセッションで録音されたものの、レコードに収録されなかったのだそうです。この曲は、Real Estateを彷彿とさせる良質なインディーロックソングとして楽しめ、言いたいことがシンプルであるがゆえ、琴線に触れるものがあるはず。ダックス・リミテッドは疎外感を感じている人々に'孤独ではないよと教えようとしている。

 

デイヴ・ヴェトリアーノがプロデュースしたこの曲は、ラット・ボーイズのジュリア・スタイナーとムーンタイプのマーガレット・マッカーシーのハーモニーをフィーチャーしている。以下よりご視聴下さい。


「『Harm's Way』制作の初期に書いた曲で、カントリー調のアイディアがたくさんアレンジに取り入れられていた時期だった」とシンガー/ギタリストのトム・マクグリーヴィは説明している。

 

「ジュリアとマーガレットと一緒にバッキング・ヴォーカルをやったとき、彼らはすぐに僕らがやろうとしていることを理解してくれて、曲を良くしてくれた。アルバムのシークエンスには合わなかったけど、ダックスの曲の中で今までやったことのないことをやっているから、それを世に送り出す方法が見つかって嬉しい。それを難しくしている誰かを支えようとすることについて歌っています。ある意味、無条件の愛。あるいは、少なくとも、限定された条件での愛・・・」 


ニューシングルを聴くかぎり、なんとなくわかることは、バンドやミュージシャンにとって”何をしたのか”はさほど重要ではなく、音楽に合わせて”何を伝えたいのか?”がいちばん大切なのかもしれません。それがシンプルであり、純度が高くなればなるほど、多くの人々の心を掴む可能性がある。理想的な音楽とはいつも、なんらかのメッセージであり啓示でもあるべきなのです。

 

 

「When You're Outside」

 


Slow Pulpがシングル「Slugs」のリミックスにyeule/Kin Leonnを起用した。スローパルプはエミリー・マッシーを擁するオルタナティヴロックバンドで、Anti- Recordsの注目株でもある。昨年リリースした「Yard」はUSオルタナティヴの流れを変えるようなパワフルな作品だった。

 

ロンドン在住のユールは、Ninja Tuneに所属するシンガポール出身のシンガーソングライターで、サブカルチャーを軸にハイパーポップの未来を切り開こうとしている。ユールは日本のカルチャーやアニメからの影響を挙げており、アーティストが信奉するのはエヴェンゲリオン。現在、ユールはソーシャルメディアのdiscordを中心にデジタルコミュニティを構築している。.

 

一方のキン・レオンは、ロンドン在住のアンビエントプロデューサー。彼もまたシンガポールの出身で、同地のキッチン・レーベルに所属している。キン・レオンのソロ活動はフルアルバム『Commune』(2018年)から始まり、シンガポールとロンドンの両方で数々のソールドアウト公演に出演し、知名度を獲得している。ベネズエラのアンビエント・プロデューサーであるミゲル・ノヤ、2020年にEP『Faraway Vicinity』をリリースした日本のサウンドアーティスト、蛯名洋とコラボしている。エレクトロニック・プロデューサー、ミックス・エンジニアとして、Yeuleとコラボレーションを行い、ModeratやYunè Pinkuのリミックスにも参加している。


「私は長い間、スロー・パルプが大好きで大好きで、彼らのためにこのリミックスを手がけることができて本当に光栄です」とユールは説明している。「新譜を聴いたとき、スラッグスを聴かずにはいられなかった。キン・レオンも私も、このリミックスにたくさんの愛を込めています」

 

ニューリミックスではパンキッシュなロックソングの風味はそのままに、やはりエクスペリメンタルポップのエッセンスが付け加えられている。 これもユールが掛けた魔法ともいうべきか?

 

*リミックスのストリーミングはこちらから。

 

 

「Slugs」- Remix

 F.S Blumm 『Torre』

 


Label: Leiter

Release: 2024/04/26

 


ベルリンのギタリスト、F.Sブラームが提供する大人のための癒やしの時間



F.Sブラームはベルリンのミュージシャンであり、同地の数少ないダブプロデューサーでもある。彼はアコースティックギタリストとしても活動し、ジャズとコンテンポラリークラシックの中間にある音楽も制作しています。さらにベルリンの鍵盤奏者/エレクトロニックプロデューサー、ニルス・フラームと音楽的な盟友の関係にあり、共同活動も行っています。両者のコラボレーションは、2021年のアルバム「2×1=4」に発見することが出来ます。 最新作「Torre」はフラームが手掛けるレーベル、Leiterからのリリースで、大人のための癒やしの時間を提供します。


このアルバムは、ミュージシャンによるアコースティックギターの柔らかな演奏に加え、ミヒャエル・ティーネによるクラリネット、アンネ・ミュラーによるチェロのトリオの編成にささやかなクワイア(声楽)が加わり、緩やかで落ち着いたジャズ/コンテンポラリークラシックが繰り広げられる。ブラームは、2022年のシングル「クリストファー・ロビン」でリゾート地のためのギターアルバムを制作していますが、その続編のような意味を持つ作品と言えるかも知れませんね。実際、ブラームは、このアルバムの制作前にイタリアのリベエラで数カ月間を過ごしたのだそうで、そのリゾート地の空気感をコンポジションやトリオ編成の録音の中にもたらそうとしています。

 

これまでブラームはダブやエレクトロニック、ほかにもヒーリングミュージックにも似た音楽を制作していますが、最新作では、モダンジャズからの影響を基にし、喧騒から解き放たれるための音楽を制作しています。解釈の仕方によっては、リベエラに滞在した数カ月間のバカンスの思い出を音楽で表現したかのようでもあり、ミヒャエルのクラリネットの響きとブラームのアコースティックギターの間の取れた繊細なアルペジオを中心とする演奏は、忙しない現代人の心に余白を与えてくれるのです。特に、作曲の側面での新しい試みもいくつか見出すことが出来、それは室内楽やジャズトリオの形で、まるで目の前にいる演奏者、ミヒャエル、アンネとアイコンタクトを送りながら、ノート(音符)を丹念に紡いでいくのが特徴です。今作のオープニングを飾る「Da Ste」では、トリオ編成の演奏の絶妙なタイミングの取り方によって、ジャズともクラシックとも付かない潤沢な時間がリスナーに提供されるというわけなのです。

 

また、ドイツのジャズシーンにはそれほど詳しくないですが、F.Sブラームの音楽はどちらかと言えば、ノルウェージャズからの影響が強いように感じられます。例えば、Jagga Jaggistのクラリネット奏者であるLars Horntvethが「Pooka」で提示したようなクラリネットとギターの演奏を通じて繰り広げられるエレクトロニカに近い印象もある。ただ、ブラームの場合は、この作品で一貫してアコースティックの演奏にこだわっており、生楽器が作り出す休符やハーモニーの妙に焦点が絞られています。このことがよく分かるのが続く#2「Aufsetzer」となるでしょうか。

 

アルバムは基本的に、ギター、チェロ、クラリネットによるトリオ編成でレコーディングされていますが、収録曲毎にメインプレイヤーが入れ替わるような印象もある。#4「Di Lei」でのアンネ・ミュラーによる演奏は、バッハの無伴奏チェロ組曲のような気品に満ち溢れ、ミュラーのチェロの演奏は凛とした雰囲気のレガートから始まり、その後、ギター、クラリネットの音色が加わると、色彩的なハーモニーが生み出されます。トリオのそれぞれの個性が合致を果たし、ジャズともクラシカルともつかないアンビバレントな作風が作り出されるのです。

 

近年、リゾートのための理想的な音楽とはどのようなものであるのかを探求してきたギタリストによる端的な答えが、アルバムの中盤から終盤の移行部に収録される「Wo du Wir」に示されています。この曲では、クラリネットの演奏は控え目、むしろミュラーによるチェロのレガートの美しさ、ボサノヴァのような変則的なリズムを重視したF.Sブラームの演奏の素晴らしさが際立っています。実際、リスナーをリゾートに誘うようなイメージの換気力に満ち溢れている。この曲の補佐的な役割を果たすのが続く「Frag」で、ブラームの演奏はハワイアンギターのような乾いたナイロンのギターの音響をもとに贅沢なリスニングの時間を作り出しています。


序盤のいくつかの収録曲と合わせて、アイスランドやノルウェーを中心とする北欧のエレクトロニックジャズに触発された音楽も発見できます。例えば、ミヒャエルのクラリネットの巧緻なスタッカートの前衛的な響きが強調される「kurz vor weiter Ferne」/「Hollergrund」は、ブラームトリオの音楽のユニークな印象を掴むのに最適となるかもしれません。ここでは、リゾート地に吹く涼やかな風を思わせる心地よさが音楽という形で表現されているようにも思えます。

 

アルバムはトリオのソロ、アンサンブルを通じて、リゾート地の風景やその土地で暮らす感覚をもとにしたコンセプト・アルバムのように収録曲が続いていき、これらのスムーズな流れが阻害されることはほとんどありません。それはブラームが演奏者ないしは作曲家としてムードやその場所の空気感を重んじているからであり、トリオの演奏は、さながらイタリアの避暑地を背景にしたバックグランドミュージックのような形でアルバムの終盤まで続いているのです。

 

もう一つ、このアルバムでブラームの作曲家としての新しい試みが示されたことに気づく方もいるかもしれません。例えば、アルバムの終盤に収録されている「Daum」においてはジャズギタリストのドミニク・ミラーのような作風に取り組んでおり、F.Sブラームがモダンジャズの領域へと新しい挑戦を挑んだ瞬間を捉えることが出来ます。

 

その後、幻想的な物語のような印象を持つエレクトロニックのフレーズがトリオ編成とは思えないようなダイナミックなスケールを持つ音楽世界を少しずつ構築していきます。また、チェロの演奏をフィーチャーし、アンサンブルの形を通じて、マクロコスモスを作り出す「Shh」もブラームの作曲家としての非凡なセンスが光り、それらが、Lars Horntvethのアルバム「Kaleidscope」で描き出された電子音楽の交響曲のようなスケールを持つ音響空間を作り出していく。


アルバムの音楽は静けさから激しさへと移り変わり、最終的に始まりのサイレンスへと帰っていく。さながらイタリアのリゾート地の港町の海際の波がおもむろに寄せては返すかのように、抑揚や微細なテンションの変化を通じて音楽が繰り広げられ、巧みなサウンドスケープを描いていき、アルバムの序盤ではわかりづらかったことが明らかになる。今作『Torre』が、ブラームトリオのアンサンブルによるリゾートをモチーフにしたオーケストラの交響曲のような形式で作曲されており、それが制作者、ひいてはトリオのメッセージ代わりとなっていることを……。


クラシック音楽において作者が言い残したことを付け加えるコーダの役割を持つ「Da Ste」は、クラリネットの微弱なブレスを活かし、現代音楽のようなモダニズムの音響性を構築した上で、ブラームはアコースティックギターをオーケストレーションの観点から演奏しています。スタッカートを強調したギターの演奏は先鋭的な作風を重じているとも言えますが、他方、聞きやすさもあるようです。今作の重要なテーマ”大人のための癒やし”という概念は、それが異なる形で実際の音楽に表れるということを加味しても、全13曲を通じて一貫しています。アルバムをぼんやり聞き終えた後、リゾートでのバカンスを終えたような安らかな余韻に浸れるはずです。 


 

86/100

 

 

 


イギリスのポップシーンの注目アーティスト、CMATがニューシングルをリリースしました。「Aw, Shoot!」は、昨年10月にAWALから発売されたセカンドアルバム『Crazymad, For Me』に続くシングルです。


彼女はこの曲についてこう語っています。「フランスのパリで、アパートを借りてたの。曲を書こうとしていたけど、あんまりうまくいかなかった。コート・デュ・プロヴァンスのワインを1日に3本も飲んでいたし、2週間くらいは人との接触もなかった」


「で、ある晩、ドアをノックする音がした。誰だろう? ドアを開けると、アメリカ人の女の子がいた。"あら、私の友達じゃない!"と言って、振り返って立ち去った。彼女はアメリカ式とヨーロッパ式の床を間違えてたの。実はこれは、私のお気に入りのテレビ番組『エミリー・イン・パリ』の重要なプロットポイント。それで? まあ、私は正気を失いました。でも、いい面もあるよね」

 


「Aw, Shoot!」

©︎Holly Whitaker


ロンドンのアートポップデュオ、O.がニューシングル「Micro」をリリースした。このニューシングルは、バリトン・サックス奏者のジョセフ・ヘンウッドとドラマーのタシュ・ケアリーによるデュオのデビューアルバム『WeirdOs』からの最新カットである。


「WeirdOsは、ダークでヘヴィなアルバムで、リフなベースライン、ブラストビート、ダブ、ノイズ、そして中間にあるあらゆる奇妙なサウンドが大好きだ。アルバムは、ダン・キャリーとスタジオで2週間かけてライヴ・レコーディングされ、僕らのギグにいるような感覚を再現することを目的としている」

 

Oによる新作アルバム『WeirdOs』は6月21日にスピーディ・ワンダーグラウンドからリリースされます。

 

 

「Micro」

 

Steve Albini

 シカゴの伝説的なミュージシャン、エンジニアとして活躍したスティーヴ・アルビニが死去しました。米ピッチフォークがアルビニが所有するレコーディング・スタジオ、エレクトリック・オーディオに確認をしたところ、ミュージシャンが心臓発作で死去したことが判明した。享年61歳。

 

 スティーヴ・アルビニはシカゴのレーベル”Touch &Go”からレコード・デビューし、Big BlackやShellacのメンバーとしてアート・ロックやアヴァンギャルドロックの傑作をリリースしてきた。また、プロデューサーとしても活躍し、ニルヴァーナ、ピクシーズ、PJハーヴェイ、ロバート・プラントのソロ・アルバムなど数え切れないほどのミュージシャンの名盤を手がけた


 スティーヴ・アルビニは1961年7月22日にカリフォルニア州パサディナで生まれました。10代の大半をモンタナ州ミズーラで過ごしています。足の骨折から回復する過程でベースを弾き始め、その後ギターに転向。大好きなバンドとなったラモーンズを知ったのは、14歳か15歳のとき、遠足中に同級生から紹介されたのがきっかけでした。「ラモーンズ、セックス・ピストルズ、ペレ・ウブ、ディーヴォ、そして同時代の刺激的なパンク・バンドたちのような音楽に、彼らを真似しようとは思わずに戸惑い、興奮した」と彼は2017年に『Quietus』に対して語っている。


 高校卒業後、スティーヴ・アルビニはイリノイ州エバンストンのノースウェスタン大学に入学し、ジャーナリズムを専攻、アートを副専攻しています。シカゴのパンク・シーンに没頭し、StationsやSmall Irregular Pieces of Aluminumなどの地元バンドで活動した。また、『Forced Exposure』や『Matter』などの同人誌に定期的に寄稿し、黎明期のパンク・シーンを取材した。


 友人から4トラック・レコーディング・ユニットを借りて独学で使い始めたアルビニは、サックス以外のすべての楽器を担当した最初のEP『Lungs』をレコーディングし、1982年にBig Blackという名義でリリースを行うようになりました。


 このプロジェクトは、ギタリストのサンティアゴ・デュランゴとベーシストのジェフ・ペッツァティ(ともにシカゴのパンクバンド、ネイキッド・レイガンのメンバー)、ドラマーのローランド”TR-606”を加えたフルバンドへと発展し、EPを何枚もリリースし、洗練されたサウンドを発展させていった。ペッツァティの脱退後、デイヴ・ライリーがベースを担当したビッグ・ブラックは、1985年に『Atomizer』と『Songs About Fucking』という2枚の有名なアルバムをリリースし、1987年に解散しました。


 以後、スティーヴ・アルビニは、ドラムのレイ・ウォシャム、ベースのデヴィッド・W・シムズとともにバンドを結成しました。2枚のシングル、1988年の『Budd EP』、1988年のアルバム『Two Nuns and a Pack Mule』をリリース後、1989年に解散しています。


 アルビニはエンジニアとして(彼は "プロデューサー "という呼び方を好まない)、1988年のピクシーズのデビューアルバム『Surfer Rosa』の仕事でその名を知られるようになった。ライヴ・レコーディングの生のエネルギーを強調するアナログ・プロダクション・テクニックを使用することで知られるアルビニは、ブリーダーズの1990年のデビュー作『POD』、ニルヴァーナの『In Utero』、PJハーヴェイの1993年のアルバム『Rid of Me』、そして、ジーザス・リザード、スリント、スーパーチャンクの初期のアルバムをレコーディングした後、1997年にシカゴに2つのスタジオを併設したエレクトリカル・オーディオをオープンした。特にギターのディストーションのエッジを強調するサウンドがアルビニのレコーディングの美学でもあった。


 アルビニの経歴には、ジョアンナ・ニューサム、ロー、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン、マニック・ストリート・プリーチャーズ、モグワイ、ゴッドスピード・ユー、ブラック・エンペラー、ダーティー・スリー、ゴッドスピード・ユーなどなど、初期に知られるようになったノイジーで対立的な作品以外にも、何千ものレコーディングが含まれています。ブラック・エンペラー、ダーティ・スリー、ジョウブレイカー、ニューロシス、クラウド・ナッシングス、ブッシュ、ジミー・ペイジ&ロバート・プラント、ザ・ストゥージズ、マニック・ストリート・プリーチャーズ、ジャーヴィス・コッカーなど。


 1992年、アルビニはドラマーのトッド・トレイナー、ベーシストのカミロ・ゴンザレスとともに新バンド、シェラックを結成しました。1994年から2014年の間に6枚のスタジオ・アルバムを発表し、アルビニにとって最も長生きし、最も多作な音楽活動であった。シェラックは来週、10年ぶりのアルバム『To All Trains』をリリースする予定でした。


 * なお、詳細な確認は取れていないものの、スティーヴ・アルビニの最後のプロデュース作品は、昨年7月にリリースされたチェコ/プラハのポストパンクバンド、Alpha Strategy「アルファ・ストラテジー)のEP「Staple My Hand To Yours」(この作品はアルビニのエレクトリック・オーディオスタジオBでレコーディングされ、アルビニが録音とミックスとを担当している)だった。


 このリリース情報は昨年、バンドのフロントマンからリリース情報を直接お送りいただきました。リリースの詳細はこちらより確認出来ます。(bandcampでの試聴はこちら

 

©Vincent Arbelet

4ADに所属していたシューゲイズバンド、LUSHのフロントウーマンであるミキ・ベレニイは、ケヴィン'ムース'マキロップをギター、オリヴァー・シェラーをベースに迎えた新グループ、Miki Berenyi Trioのデビューシングルをリリースしました。「ストリーミングはこちら

 

「Vertigo」はコンソーシアム美術館で撮影されたSébastien Faits-Divers監督によるアーティスティックなミュージックビデオとともに公開されています。以下より映像をご覧ください。


デビューシングルは、ギターロック/シューゲイザー風の音楽性に加えて、打ち込みのドラムがエレクトロニック風のグルーブ感を生み出す。さらに、LUSHのボーカリスト、ミキ・ベレニイの浮遊感のある歌声が独特な世界観を作り出している。ライブセッションの妙を重視し、ギターサウンドのうねりの中で紡がれるベレニイの歌声はエンヤのような清々しさをもたらしています。



この新曲について、バンドは次のように説明しています。「”Vertigo”は不安と、崖っぷちから自分を説得する努力について歌っています。ドラマーがいないこと、プログラミングを多用することはチャレンジなんですが、音楽の本質はギターとメロディにあることに変わりはありません」

 

 

「Vertigo」