平凡社が前回の『や、此は便利だ』という辞典から始まったことや下中弥三郎の出版構想からしても、『大百科事典』=エンサイクロペディアに対応する『大辞典』=ディクショナリーの企画を考えたのは当然の帰結であった。それに『大百科事典』のために増えてしまった社員たちに、次の仕事を用意しなければならなかったのである。ただ下中のことだから、量質ともに在来の辞典を超える特色を意図した。『平凡社六十年史』から新村出の言葉を引けば、『大辞典』は「言語現象を一切平等に観じ来つて、地名であれ人名であれ、対等に収容して、索出者に最大の便利を与へたのが本辞書の一大特色」で、四六倍判、平均六五〇ページ、全二十四巻、後に二巻が追加され、全二十六巻で、昭和九年六月に第一回配本が始まった。
この『大辞典』全二十六巻は二十年前に浜松の時代舎で入手し、新村のいうところの「本辞書の一大特色」もあり、調法に使っていたりもした。あらためてその第一巻を取り出してみると、幸いなことに「大辞典月報」第一号と第二号がそのままはさまれ、後者には新村の「新時代の要求 過去一切の規範を絶す」が寄せられ、先述の言がそこに記されたものだとわかる。また前者には下中の「大辞典第一巻の成るまで」が掲載され、そこには「好学癖の私」の事典や辞典に対する思いがリアルに表出しているので、その部分を引いてみる。
私が、大正三年、平凡社を始めて「や此は便利だ」といふ字引を振出しに出版界へ進出したのは小さいながら大百科事典及び広国語辞典への憧憬を具体化したものだつたのである。その後漸く社が成長を遂げて字引の出版に取りかゝらうとした時、事典と辞書とどちらを先にするべきか一寸惑つた。百科も困難には相違ないがことばの大辞典は更にこんなであらうといふので先づ可能と思はるゝ方即ち百科辞典を先に出すことにした。
私が大辞典に関する二十年来の腹案を具体化し始めたのは、昭和七年一月大百科事典の第二巻の顔を見た時のことであつた。(中略)
本年(昭和九年)二月、大百科事典の完結と共に大百科事典の経験と組織を全部此の方面に集中して、(中略)この編輯に従事する者百数十人、文字通り昼夜兼行的努力によつて茲に第一巻を世に送り得、目下第二巻第三巻と続々進行しつゝある。
そしてさらに下中はその全二十四巻の完成を想起し、「心秘かに歓喜に浸つてをる」し、顧問、執筆者、編纂組織の献身的努力に対し、たゞたゞ感激感謝に満たされてをる」とまで述べている。ここまで「編輯兼発行者」として、「歓喜」と「感激感謝」を表明している例は他に見ていない。それほどまでに下中は『大辞典』の刊行に打ちこんでいたのだろう。
それに続けて「編纂顧問及び執筆者」の一部として、二百人ほどの名前が一ページ余に掲載され、個々の人々に言及しないけれど、『大辞典』という言葉の大きな森がこれらの人々によって植樹されていったことを浮かび上がらせている。
まさにこの『大辞典』に関しては九牛の一毛的な例を挙げることにしかならないが、最近引いたばかりの言葉に言及しよう。それは『近代出版史探索Ⅵ』1055の生田春月『相寄る魂』に出てきたものである。主人公の龍田純一は上京したばかりの時に、一人の居丈高な男に次のような因縁をつけられる。
(『相ひ寄る魂』
「おい、貴様はダツだらう!」
「ダツつて何です?」
「白ばツくれるな!」と男はいきなり大きんな平手でぴツしゃりと純一の頬辺を擲つた。
純一ではないけれど、私も「ダツ」は初めて目にする言葉で、『大辞典』第十七巻を引いてみると、三十以上が見つかる。その中で、該当するのは次のようなものだろう。
ダツ だつ 隠語。(一)宿屋荒し(東北)。(二)竊盗共犯者。(三)盛り場を目的とする掏摸(北陸)。
おそらく同じ「ダツ 奪」が隠語化され、東北や北陸地方で使われ、明治から大正にかけて、所謂「盗賊用語」として東京にも伝播してきたのではないだろうか。念のために、楳垣実編『隠語辞典』(東京堂、昭和三十一年)を確認してみると、戦後になっても「ダツ」は「だつ」として使われていたようで、宿屋荒し、窃盗の共犯者、板の間かせぎ、雑沓地のすりという四つの「だつ」が立項されている。しかしそのうちの三つは『大辞典』から取られたことが明らかで、下中の「歓喜」と「感激感謝」にあふれた『大辞典』は戦後になっても、その影響を辞典出版の世界に広範に及ぼしていたにちがいない。
しかし『平凡社六十年史』が語るところによれば、『大辞典』の予約者は五千人に満たず、全国的な書店営業と相次ぐ広告にもかかわらず、第七回配本を過ぎる頃には返品のこともあり、第一巻の実売部数が七千部ほどだったとわかった。だが月一冊の刊行は平凡社の信条に基づくもので、全巻完結すれば、売れるだろうと信じ、出し続けたが、昭和十年十月に第十五巻を刊行したところで、第二次の経営破綻をきたし、全二十六巻が完結したのは十一年十一月だったのである。その第十六巻以後の経費を引き受けたのは大阪の取次の柳原書店であり、これはまた別の物語となろう。
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