ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




杉本染物店。文京区根津1-21。2005(平成17)年4月2日

根津神社の表参道口の向かい側の家並み。撮影の数年後には、三軒長屋とその右の家は建替えられた。写真左の杉本染物店は「和服専門 三河屋号 杉本染物舗」の看板を出していて今も営業中。写真右の家は1986年の住宅地図に「フジイメタル」、1969年の地図に「藤井商店」、その左の家は「金城中島建設」。
三軒長屋は人が住んでいるようには見えないが、鉢植えが置いてあるから、屋根が壊れていない1軒に住人がいるのかもしれない。
建て替わった1軒は「ねこや工業 ごんげん前」で、招き猫なんかの店らしい。その右に3階建住宅で、1階に店が2軒。1軒は「Happy Koala」という「手造り小物とお洋服」の店。もう1軒は「ツバメブックス」という古書とアンティークな雑貨の店。本の数は多くないがあなどれない品揃えだという。

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竹浪運送店。文京区根津1-22。2007(平成19)年10月18日

建て替わってしまったが、山の湯のあったところから根津神社の方へいったすぐ先。戦前築の3軒長屋だ。端が1軒分空いているので、そこも長屋が続いていたのかもしれない。昔の航空写真を見ると、参道の両側とも、この長屋のような建物が隙間無く並んでいた様子だ。
竹浪運送店は、看板を掲げているから営業しているようでもあるがどうなのだろう。ストリートビューで見ているので、はっきりとは分らないのだが、板の看板には「東京陸運局免許 昭和三十年八月十八日付/55東陸自貨二才七六九号/一般区域貨自動車運送事業/本店営業所」と読める。
根津神社の祭礼では、神酒所になるようだ。

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ローズ美容室。文京区根津1-23
左:2000(平成12)年5月3日、右:1990(平成2)年5月6日

不忍通りの根津神社入口交差点を根津神社の方へ入ってすぐのところにあった看板建築の二軒長屋。ごく最近取り壊されて、2022年7月のストリートビューでは更地である。ローズ美容室は2019年に閉店した様子だ。日よけの文字は「ビューティサロン 梅沢稔の店」。1969年の住宅地図では「青木、うさぎやパン店」という記載。
右写真の左にわずかに写っているのは「林屋米店」。「グランドメゾン根津参道」(1996年7月築、12階建45戸)というマンションに建て替わっているが、その1階で今も営業中だ。

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山の湯。文京区根津1-22。2005(平成17)年4月2日

不忍通りの根津神社入口交差点を根津神社の方へ入ったところにあった銭湯。2011年の東日本大震災で煙突が破損して休業していたが、そのまま廃業になってしまったという。その後1・2年で住宅に建て替わってしまった。
建物は戦前築のように思えるのだが、開業時期などの情報はネットでは探せなかった。モルタル仕上げの正面は、戦後の改修のように思える。前面に増築したような外観だ。
内部の様子は、『~極楽の湯~温泉・東京銭湯>山の湯』や、『風呂屋の煙突>山の湯』などで紹介されている。


2008(平成20)年9月10日

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松山寿し。台東区台東3-20
2008(平成20)年3月1日

写真の街灯にあるように、「末広会商店街」のまん中辺りで、写真右端の家が最近建て替わったが、その左の四軒長屋は今も残っている。商店街の通りは「すえひろレンガ通り」という。2009年に台東区が命名したという。昭和通りの台東1交差点と台東3交差点の間のまん中当たりから東へ向かう通りで、330mの長さ。
「安心堂」から左が看板建築の四軒長屋で、左端は路地の角。白っぽい日よけが「松山寿し」で、かなりの老舗だという。安心堂は1966年の住宅地図では「安心堂ゴム靴店」、その左は「中華珍味」。『昭和の東京2台東区』(写真:加藤峯夫、出版:デコ、2013年、1800円+税)に4軒長屋が写っている昭和42年撮影の写真が載っている。長屋の左端の家の看板をむりやり読むと「家庭文化用品 エンゼル印発売元 株式会社東洋アルミ」だろうか。エンゼル印はたぶん魔法瓶。

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左:コーポ谷口。台東区台東3-38。1988(昭和63)年12月31日
右:看板建築の長屋。台東3-38。1992(平成4)年3月22日

当ブログ前回の坂井邸の南のブロックが台東3-38。西側は裏通りだが、それ以外の3面は路地である。1992年までは「竹の湯」という銭湯があった。
左写真の家はその街区の北側の真ん中あたりで、現存している。「コーポ谷口」の表札がかかっているからアパートなのだろう。現在は写真左の部分(「表千家茶道教授」の看板から左)が建て直されたか改装されている。
右写真の看板建築の長屋は台東3-38の街区の南東角。今も建物は残っているが、正面は改装されてきれいになり、見た感じがだいぶ違ってきている。

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坂井邸。台東区台東3-45。1985(昭和60)年10月27日

昭和通りの台東三丁目交差点と、清洲橋通りの小島二丁目交差点を結ぶ通りから昭和通りに近い横丁を南へ入ったところにあった商家。坂井邸と名前を出してしまったのは、すでに建物がなくなったのと、『台東区近代洋風建築調査報告書[データ編]』(平成8年)に「65坂井邸、台東3–45–4、木造2階建て、出桁、1階洋風」で載っているからだ。
出桁造りの和風の家だが、1階はタイル貼りの壁に洋式のドア。ショーウインドーがあるので商家だったと思うのだが、斜め棒のドアは小売店らしくない。『アクトデザイン凛太朗のブログ>台東1丁目~4丁目散策Ⅱ』では、細かく観察していて細部の写真も載せている。1階壁のタイルは横に線が引かれたスクラッチタイル、2階の銅貼りの戸袋は麻の葉模様、と分る。

坂井邸は2022年には取り壊されて「うれしい保育園仲御徒町駅前」(2023年4月1日開園)という施設になった。



坂口薬局、坂井邸。1992(平成4)年3月22日

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フランセ、西川商店。台東区台東3-44。1992(平成4)年3月22日

台東3–44は昭和通りの台東三丁目交差点を東へ入った3ブロック目。東北角に「武蔵野和菓子店」があった街区。その東側の家並みである。建物はどれもまだ残っている。右(北)から、カットルームおかち、フランセ(コーヒー&ランチ)、しもたや、西川商店の3軒長屋。
1986年の住宅地図では、右から「石川、フランセ、ライオン」となっている。『昭和の東京2台東区』(写真:加藤峯夫、デコ、2013年、1800円+税)の1968年撮影の武蔵屋の写真に「疊石川」の看板が見える。



稔金属工業。台東3-34。2003(平成15)年10月23日

西川商店の三軒長屋の角は、1966年の住宅地図では「皆川製作所」で、その角を西へ入ったところから撮った写真。1986年の地図では左の家が「稔金属工業」。写真では緑の日よけに「コアフィル マキ」と読める。ストリートビューを見ると2017・8年頃、右の家と共に「丸幾(まるいく)商会」のビルに替わった。

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會田商会。台東区台東3-41。2003(平成15)年10月23日

右奥が昭和通りで、その台東三丁目交差点の1本南の横丁。會田商会(室内電気工事)は銅板貼りの看板建築、奥の毎日新聞専売所は石積み風に見せたトタン?貼り壁面の看板建築だ。新聞店の建物には昭和通りに面した表側に「民華」という中華料理店も入っている。
『台東区近代洋風建築調査報告書[データ編]』(平成8年)に「60、中華民華他、台東3–41–5、木.2、2棟」「61、あいだ他、台東3–41–7、木.2、銅板貼り、2棟」で載っている。これだけでは写真で分る以外の情報はない。「2棟」というのは2軒長屋形式ということだろう。
民華はかなりの有名店だったらしく、ネットに大量のサイトが出てくる。『アド街ック天国、仲御徒町2009.12.19放送』では14位で、解説に「昭和22年に創業した中華料理屋。戦前は製麺所」とある。
ストリートビューを見ると、2015年頃には民華の隣の「東慶商会」のビルが取り壊され、同年11月に民華は火事で焼失、2018年に「松屋」がなくなっている。それらの跡地に建ったのが「ホテルマンデープレミアム上野御徒町」で、2020年4月の開業。


左:會田商会、1988(昭和63)年12月31日
右:民華の並び。ストリートビュー(2013年7月)より

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浜田病院。千代田区神田駿河台2-5。2003(平成15年)12月18日

産院として有名な浜田病院は歴史ある病院で、1894(明治27)年に「東京産婦人科病院」として開設され、1914(大正3)年に浜田病院と改称された。写真の建物は、1966(昭和41)4月に建ったもので、5階建のようだ。建物全体を写した写真が『千代田遺産>浜田病院』に載っている。竣工時は病床が82あったが、1995(平成7)には、4・5階に健診センターを開設して、43床になっていた。
現在は「御茶ノ水ファーストビル」(2008年7月築、14階地下2階)に建て替わり、病院はその1-4階に入っている。

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