ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




左:コーポ谷口。台東区台東3-38。1988(昭和63)年12月31日
右:看板建築の長屋。台東3-38。1992(平成4)年3月22日

当ブログ前回の坂井邸の南のブロックが台東3-38。西側は裏通りだが、それ以外の3面は路地である。1992年までは「竹の湯」という銭湯があった。
左写真の家はその街区の北側の真ん中あたりで、現存している。「コーポ谷口」の表札がかかっているからアパートなのだろう。現在は写真左の部分(「表千家茶道教授」の看板から左)が建て直されたか改装されている。
右写真の看板建築の長屋は台東3-38の街区の南東角。今も建物は残っているが、正面は改装されてきれいになり、見た感じがだいぶ違ってきている。

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坂井邸。台東区台東3-45。1985(昭和60)年10月27日

昭和通りの台東三丁目交差点と、清洲橋通りの小島二丁目交差点を結ぶ通りから昭和通りに近い横丁を南へ入ったところにあった商家。坂井邸と名前を出してしまったのは、すでに建物がなくなったのと、『台東区近代洋風建築調査報告書[データ編]』(平成8年)に「65坂井邸、台東3–45–4、木造2階建て、出桁、1階洋風」で載っているからだ。
出桁造りの和風の家だが、1階はタイル貼りの壁に洋式のドア。ショーウインドーがあるので商家だったと思うのだが、斜め棒のドアは小売店らしくない。『アクトデザイン凛太朗のブログ>台東1丁目~4丁目散策Ⅱ』では、細かく観察していて細部の写真も載せている。1階壁のタイルは横に線が引かれたスクラッチタイル、2階の銅貼りの戸袋は麻の葉模様、と分る。

坂井邸は2022年には取り壊されて「うれしい保育園仲御徒町駅前」(2023年4月1日開園)という施設になった。



坂口薬局、坂井邸。1992(平成4)年3月22日

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フランセ、西川商店。台東区台東3-44。1992(平成4)年3月22日

台東3–44は昭和通りの台東三丁目交差点を東へ入った3ブロック目。東北角に「武蔵野和菓子店」があった街区。その東側の家並みである。建物はどれもまだ残っている。右(北)から、カットルームおかち、フランセ(コーヒー&ランチ)、しもたや、西川商店の3軒長屋。
1986年の住宅地図では、右から「石川、フランセ、ライオン」となっている。『昭和の東京2台東区』(写真:加藤峯夫、デコ、2013年、1800円+税)の1968年撮影の武蔵屋の写真に「疊石川」の看板が見える。



稔金属工業。台東3-34。2003(平成15)年10月23日

西川商店の三軒長屋の角は、1966年の住宅地図では「皆川製作所」で、その角を西へ入ったところから撮った写真。1986年の地図では左の家が「稔金属工業」。写真では緑の日よけに「コアフィル マキ」と読める。ストリートビューを見ると2017・8年頃、右の家と共に「丸幾(まるいく)商会」のビルに替わった。

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會田商会。台東区台東3-41。2003(平成15)年10月23日

右奥が昭和通りで、その台東三丁目交差点の1本南の横丁。會田商会(室内電気工事)は銅板貼りの看板建築、奥の毎日新聞専売所は石積み風に見せたトタン?貼り壁面の看板建築だ。新聞店の建物には昭和通りに面した表側に「民華」という中華料理店も入っている。
『台東区近代洋風建築調査報告書[データ編]』(平成8年)に「60、中華民華他、台東3–41–5、木.2、2棟」「61、あいだ他、台東3–41–7、木.2、銅板貼り、2棟」で載っている。これだけでは写真で分る以外の情報はない。「2棟」というのは2軒長屋形式ということだろう。
民華はかなりの有名店だったらしく、ネットに大量のサイトが出てくる。『アド街ック天国、仲御徒町2009.12.19放送』では14位で、解説に「昭和22年に創業した中華料理屋。戦前は製麺所」とある。
ストリートビューを見ると、2015年頃には民華の隣の「東慶商会」のビルが取り壊され、同年11月に民華は火事で焼失、2018年に「松屋」がなくなっている。それらの跡地に建ったのが「ホテルマンデープレミアム上野御徒町」で、2020年4月の開業。


左:會田商会、1988(昭和63)年12月31日
右:民華の並び。ストリートビュー(2013年7月)より

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浜田病院。千代田区神田駿河台2-5。2003(平成15年)12月18日

産院として有名な浜田病院は歴史ある病院で、1894(明治27)年に「東京産婦人科病院」として開設され、1914(大正3)年に浜田病院と改称された。写真の建物は、1966(昭和41)4月に建ったもので、5階建のようだ。建物全体を写した写真が『千代田遺産>浜田病院』に載っている。竣工時は病床が82あったが、1995(平成7)には、4・5階に健診センターを開設して、43床になっていた。
現在は「御茶ノ水ファーストビル」(2008年7月築、14階地下2階)に建て替わり、病院はその1-4階に入っている。

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ヴィクトリア本店。千代田区神田小川町3-4。1987(昭和62)年8月1日

神田小川町の靖国通り沿いを中心に立並ぶ運動具店の代表的な1軒であるヴィクトリア本店の旧建物。写真右奥が靖国通りの正面。
1969(昭和44)年の住宅地図では、建物がページで切れていて、北半分に「美津濃スポーツ/第一銀行神田支店」、南半分に「第一銀行事務部分室/駐車場」という記載。どうも写真のビルは第一銀行神田支店だったらしい。美津濃スポーツは靖国通りの向かい側に、撮影当時は、1951年に建てたビルがあったはずだ。
ヴィクトリアがいつから写真のビルに入ったのか、現在のビルに替わったのがいつなのかは分らない。『荷風! vol.7』(平成18年、日本文芸社、880円)によると、「昭和45年(1970)、駿河台下交差点の角地に「ビクトリア」が巨大店舗をオープンさせる」とあり、現本店はその何年か後になるのだろう。

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市川屋荒物店。千代田区神田淡路町2-4。2003(平成15)年3月23日

当ブログ前回の松林舎クリーニング店の並びで、左写真右のビルが外堀通りとの角にある。現在は市川屋の右の空き地に「エリズフローラ」(2005年8月築、5階建5戸)というマンションが建ったが、4軒の古い2階建の家はまだ残っている。「荒物金物雑貨」の看板の市川屋は日除けが同じようだから2棟の家で同じ市川屋なのだろうか。左のほうは2012年12月開店の「三日酔」という「カレーとウイスキーの店」になっている。右の空き地は「ニッポン」という理髪店だった。
出没!アド街2007.09.18神田淡路町』では市川屋は29位で「大正初期創業の荒物屋。店内には、掃除道具など日用品と共に、昭和中期に売り出された灰皿や、囲炉裏や長火鉢の灰をならす為の道具などが整然と並んでいます。」と解説されている。

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松林舎クリーニング店。千代田区神田淡路町2-4。1988(昭和63)年8月14日

靖国通りの淡路町交差点付近の裏通りで、昭和末の景観である。写真正面奥が、かつて「加島屋酒店」があった五叉路。写真左のビルは「同和病院」、正面の建物は「須田町北部会館」。
写真右の家並みが最近まであまり変わらない感じで残っていたが、写真右の電柱の後の「松林舎」が2023年5月に取り壊されてしまった。
出没!アド街ック天国 神田淡路町』は2016年放送だが、松林舎は12位で「創業明治37年のクリーニング店で、お店は女性3人の家族経営。4代目の田中すみさんはアイロン仕上げを担当していて、その丁寧さはぼたんといった老舗からも頼りにされている。」と解説されている。店主の高齢化に加えコロナ禍もあったようだが、2021年6月末で廃業していた。

松林舎。2003(平成15)年3月23日

写真左の家は、現在では建て替わったか全面改装されたかできれいな建物に替わり「八百松」という青果店になっている。松林舎は撮影した数年後だと思うが、壁面をクリーム色に塗り直している。

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矢澤煉瓦蔵。静岡市葵区七間町8
2020(令和2)年11月18日

駿府城を背にした静岡県庁の正面から南へ通じている通りが「七間町(しちけんちょう)通り」。600m余で駿河町通りにぶつかり、その先は駿河町通りになる。七間町は古くからの繁華街で、明治期には演劇などの娯楽街として栄えたらしい。1948(昭和23)年には七間町通りにアーケードが架かり、七間町のシンボルだった「地球ネオン」ができた。空襲で焼失した後、3年で復興してしまったらしい。1950年代までは映画館が建ち並び、最盛期には10館もあったという。

矢澤煉瓦蔵は七間町通りの中程を東へ入ったところにある。明治末の建築で、漆器店の倉庫だった。煉瓦造2階建。2011(平成23)年9月、静岡市の「景観重要建造物」に指定された。現在は「GALVO GALLERY」というブティックが入っている。

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静岡銀行本店。静岡市葵区呉服町1-10。2020(令和2)年11月18日

静岡市の駿府城の南の繁華街に戦前に建設されたビルが3棟残っている。何れも中村與資平設計になる、静岡市役所本館、県庁本館と静岡銀行本店である。静岡銀行本店は本通り(県道208号)の呉服町一丁目交差点から西へ向かう呉服町通りとの角にある。本通りの向かい側には日本銀行静岡支店と清水銀行静岡支店があってさながら金融街だ。
静岡銀行本店は「三十五銀行本店」として1931(昭和6)年に建てられた。設計=中村與資平、施行=清水組、構造=RC造3階建。西と北面に4本のドリス式オーダーをもつ古典主義様式の重厚な銀行建築だ。
昭和15年1月15日の大火、また昭和20年6月19日の空襲では周囲の木造家屋はすっかり焼失したと思われるが、銀行社屋は類焼を免れている。RC造だったからにしても、緻密な設計と施工が関係しているのだろうと思わずにはいられない。

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